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「検地」が大名たちに必須だった理由

「検地」が大名たちに必須だった理由

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。7月11日の放送のでは、徳川家康・加藤清正・陣笠隊の足軽・踏舞の3名「検地」について取り上げました。

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初の検地がおこなわれた日

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。
いくつかある話題の中で取り上げたのは、1582年7月8日に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が初の検地をおこなった件について。

徳川家康「検地というのはな、その土地でどれくらいの米が収穫できるかを調べることを申すわけじゃ。のちの太閤検地につながっていく、歴史的な出来事じゃ」

加藤清正「先程徳川殿が仰ったことではあるが、検地は全国でおこなわれたものでござっての。どこで誰がその土地を所有しておって、どれだけ米が収穫できるか調べるのが目的だったわけじゃ」

当時は、その国ごとに土地の広さの単位は決まっていませんでした。要は、国ごとのルールで決めており、日本全国での統一されたルールがない状態。ゆえに、どれだけ米が収穫されているのかが把握できず、税の徴収(当時は米)に支障をきたすために必要だったのです。

検地の効果は年貢だけじゃない

統一することでどんなメリットがあるのかと言うと、広い土地を治めて米が収穫できる大名と、狭い土地であまり米が収穫できない大名が同じ税を納めるのは不公平。
統一した基準で多く収穫されているところから多くの税を徴収し、少ない収穫であっても一定の割合で納めるようにすることで不満を解消する狙いもありました。

家康「検地は詳しく申しておくと、秀吉殿だけが行っておったのではない。同日に丹羽長秀殿もおこなっておる。秀吉殿が亡くなる2年くらい前まで、何度も検地がおこなわれておった。ではなぜ、秀吉殿はじめ他の大名も含めて検地をおこなったのかわかるか?」

先程の話に加えて、土地の持ち主も問題でした。寺社が持つ土地、武士が持つ土地、村が所有する土地の他にも有力者が勝手に支配する土地もありました。

年貢を正確に徴収する際。土地の持ち主をはっきりさせる以外にも、家臣に褒美として土地を与える際の価値もわかりやすくなります。何より、その土地から何人の兵が集められるのかを明確にすることも大名にとっては大事だったのです。

検地は安定支配の礎だった

全国的に徴収できる税収や兵の数がわかれば、それぞれの国の大名や天下人たる豊臣秀吉は、効率的に集めることができるだけでなく誤魔化しも利かなくなります。そして明確に命じることができるようになったのです。

家康「今までであれば『何人兵を出せるか?』と相手方に聞いておったものが、秀吉殿などが『そこから○人兵を出せ』とはっきり言えたんじゃな」

家康が江戸幕府を開いた江戸時代初期の検地も、秀吉が実施した太閤検地を基礎としながら、幕府の支配を安定させるため、さらに整備された土地調査をおこなっています。
これは江戸幕府を長く存続させるためにも欠かせなかったのです。

なお、家康がおこなった「慶長検地(新検)」は、秀吉時代の検地を見直し、山林や新たな耕地も調査対象に加えたため、石高が増える地域も続出。このため、後世には「慶長の苛法」と呼ばれるほど年貢負担が重くなった地域もあったと伝わっています。
現代に置き換えれば、固定資産税のために土地の登記を行うのと同じですね。
(葉月智世)
 

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