学校のプールが姿を消していく?時代の波が浮き彫りにした3つの理由
小学校時代に夏を迎える楽しみのひとつが、学校のプール授業だった。夏休みの登校日に合わせての水泳講習もあった。先生から頼まれて手伝ったプール掃除も楽しかった。しかし、そんな“学校のプール”を取り巻く環境に変化が出ている。
学校にプールは当たり前?
日本の場合、小学校、中学校、そして高校と、学校内にプール施設があるのは当たり前の風景だった。スポーツ庁が2023年(令和5年)に発表した調査結果によると、2018年(平成30年)時点の屋外プール設置率は、公立の小学校で94%、中学校で73%だった。韓国の場合、それより以前の調査で、小学校1.3%、中学校0.9%という数字が記録にあるので、いかに日本の学校に“プールがある”かが分かる。
江戸時代から“水泳授業”
その理由は「水泳を教える」ためである。歴史をひも解くと、江戸時代すでに藩の学校で泳ぎの訓練をしていた。この時は、海や川が舞台だった。日本で初めて学校にプールを作ったのは、大阪にある中学校と言われている。大正時代の初めのことで、近くの川から校内に水を引いて、水泳の授業のための池を作った。
子どもたちの命を守るため

学校の授業で、水泳に力を入れることになったのは、ある事故がきっかけだった。1955年(昭和30年)に、瀬戸内海で連絡船「紫雲丸(しうんまる)」が沈没し、修学旅行中だった小中学生100人余りを含む、168人が死亡した。痛ましい事故だった。これをきっかけに、子どもたちを水難事故から守るため「泳ぎを教えよう」という気運が高まった。学校にプールを造り“授業として”水泳を教えることになった。
東京五輪をきっかけに

最初の東京オリンピックが開催されたのは1964年(昭和39年)だった。それに向けてスポーツ振興法ができて、国からの補助金によって、全国各地の学校に次々とプールが造られた。学校のプール設置率は、オリンピック前は12%だったが、オリンピックを経て1975年(昭和50年)には50%を超えた。その後、冒頭でご紹介したような高い設置率になったのだが、2020年代に入ると、今度は学校からプール施設が姿を消し始めた。なぜなのだろうか?理由は大きく3つある。
プール施設の老朽化
1つ目は、プール施設の老朽化である。学校のプールの多くは1960年代から1970年代に設置されたが、半世紀以上の歳月が経つ中、施設自体が古くなってきた。建て替えには、億単位の費用がかかる。しかし、1年の内、7月から9月という夏の3か月ほどしか使わない施設に、そこまで多額の予算をかけるか、他の何かに使った方がいいのではないか、そんな議論の末の動きである。
教員の負担の大きさ
2つ目は、教員の負担の大きさである。学校プールの維持管理は、主に先生たちに託される。夏のシーズンを前にしてのプール掃除、日々の点検、水質のチェックや消毒などがある。また授業においては、子どもたちの体調管理や安全確認など、学校にプール施設を保有することによる教員の負担は、実はとても大きい。さらに昨今の教員不足も、それに拍車をかける。
危険な猛暑への警戒

3つ目は、このところの異常気象である。夏の猛暑は年々きびしくなり、熱中症への警戒は欠かせない。環境省による『熱中症環境保健マニュアル』にも「水の中では汗をかかないと考えがちだが、水中でも発汗や脱水がある」とあり、屋外プールでの注意も喚起している。学校のプールの多くはコンクリート製で熱を持つ。日よけなどもほとんどない。直射日光を浴びることにとって、危険な夏が続いている。
プール授業の中止が相次ぐ
文部科学省も、学校における熱中症対策として、水泳の授業についても「他の体育の授業と同じように、熱中症予防の観点が必要」としている。「熱中症警戒アラート」が出たら、プール授業を中止する学校もある。最近は突然のゲリラ豪雨も多く、それによっての授業中止もある。学校でのプール授業を継続していくためのハードルは、ますます高くなっている。
民間のプール施設を活用
このため、最近は学校のプール施設ではなく、民間のスポーツクラブの屋内プールを利用して、水泳の授業を行う学校も増えている。これなら熱中症への不安は解消される。また、水着に着替えてではなく、「座学」としての水泳授業を行う学校もあり、これについては学習指導要領でも「適切な場の確保が困難な場合」として認められている。
水泳授業の大切さ
学校のプールを取り巻く様々な状況が変化しているものの、変わらないことは、泳ぎを覚えることは命を守ることにつながる、という原点だろう。水泳は、運動面でも健康面でも多くのメリットがある。改訂作業が進められている次の学習指導要領でも、水泳の授業は続けていく方向だと伝えられる。
時代の波は、学校のプール施設や授業にも押し寄せているが、“泳ぐことに親しむ”という機会は、是非、子どもの頃から継続していってほしいと願う、そんな夏の初めである。
【東西南北論説風(703) by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】




