CBC永岡歩アナ、偉人の言葉から「愛」を考え始める
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2月14日はバレンタインデー。前日の13日に放送された『CBCラジオ #プラス!』では、パーソナリティの永岡歩アナウンサーが、あることをきっかけに「愛」もついて考えたことを、山本衿奈を相手に語りました。
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愛とは何か?その命題に、永岡はまず辞書を調べました。
『新明解国語辞典』(三省堂刊)に載っていた説明はこちらです。
「個人の立場や利害にとらわれず、広く身の回りのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重していきたいと願う、人間本来備わっていると捉えられる心情」
あまりに壮大な記述に、ふたりはいまひとつピンときていない様子。
一方『広辞苑』(岩波書店刊)によると「親兄弟の慈しみ合う心。広く人間や生物への思いやり」とのこと。
「愛」の解釈は、辞書によっても統一されていないようです。
偉人らの考える「愛」
続いて、文豪や偉人の考える「愛」を紹介する永岡。
19世紀のフランスで詩人かつ政治家だったアルフォンス・ド・ラマルティーヌの半自伝的小説『若き日の夢』にはこう書かれていました。
「愛されるために愛する、というのは人間なみのことであるが、愛するために愛する、というのはほとんど天使にも等しい」
これに対し山本は「雰囲気は伝わります」と言うものの、共感はさほどしていない様子。
永岡は見返りを求めない「無償の愛」に痺れていました。
太宰治はこう記しています。
「 少なくとも恋愛はチャンスではないと思う。私はそれを意志だと思う」(『チャンス』より)
永岡はこの一節に、今まで自分がしてきた恋愛は、恋に落ちたわけではなく、実は自分から動いた結果なんじゃないかとハッとしたようです。
真逆の解釈
愛の解釈が真逆のケースもあります。
例えば、古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスの場合。
「愛は愛されることのうちにあるというより、むしろ愛することのうちにあるように思われる」(『ニコマコス倫理学』より)
一方で『レ・ミゼラブル』の著者ヴィクトル・マリー・ユゴーはこう記します。
「人生最上の幸福は、愛されているという確信にある。今、僕は愛されているというところに意味がある」(『レ・ミゼラブル』より)
このように、愛は「愛する」「愛される」と意見が分かれています。
さて、様々な偉人の解釈を調べた結果、永岡が行きついた「愛」とは?
永岡「信じたそれでいいんです」
どんな解釈でも愛なんだと思ったようです。
(ランチョンマット先輩)
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