名古屋市長選で広沢一郎氏が初当選。その勝因とは?
11月24日に投開票が行われた名古屋市長選で、元副市長の広沢一郎さんが初当選を果たしました。過去最多に並ぶ7人の候補による選挙戦を、広沢さんが制した要因は何だったのでしょうか?11月30日放送のCBCラジオ『大石邦彦のNOW ON SHARE!』では、CBC論説室の大石邦彦アナウンサーが名古屋市長選の裏側について解説します。
関連リンク
この記事をradiko(ラジコ)で聴く7人が立候補、掲示板に貼られたのは…
広沢さんは60歳で、愛知県議会議員を務めた後、2021年までの4年間、河村市長のもとで名古屋市の副市長を務めました。
大石「私も特番をやってました。ずっと取材していました」
今回の投票率は42.12%で、前回より2.5ポイントほど下がりました。また、候補者は過去最多に並ぶ7人。
大石「選挙の掲示板見ました?」
ポスターが掲示板に貼られていたのは、4人のみでした。
もともと貼る意志のない候補者もいたようです。
大石「あれ貼るの大変なんですよ」
名古屋市内に掲示板は2700もあり、よほど組織力がないと貼ることができないと大石。
「10年戦争」の代理戦争だった?
今回、日本保守党が推薦した広沢さんの対抗馬となったのは、元参議院議員で国民民主党が古巣だった大塚耕平さん。
自民、立憲民主、国民民主、公明の4政党による、与野党相乗り候補となりました。
一騎打ちの様相を呈した選挙では、広沢さんが大塚さんに約13万票の差をつけて勝利。
相乗りの効果が発揮されない理由について語る大石。
大石「衆院選のときはみんな戦っていたんだから、戦っていた人たちが手を携えて…とはなかなかならない」
立て続けの選挙で、各陣営に「選挙疲れ」があったことも想像されます。
また、各候補の背後関係にも注目する大石。
広沢さんのバックには前市長の河村氏。一方、大塚さんのバックには大村秀章・愛知県知事が付いていました。
河村さんと大村知事は長らく対立しており、大石は「10年戦争」と呼んでいます。
大石「代理戦争みたいな形になっていた」
対立構図の作り方が見事!
後継候補・広沢さんの勝因はどこにあったのでしょうか?
大石「まず地盤ですね。河村さんの支援者をそのまま頂いた感じですよね。広沢さんはしっかり行っていました」
青い電飾を付けた自転車まで活用していたそうです。
大石「夜はまた目立つんですよね。『ひとりエレクトリカルパレード』と呼んでいました」
その極意は、先行する街宣車に絶妙な距離を保ちながらついていくこと。
すると街宣車の音を聞きつけた人々が、広沢さんの自転車をバッチリ発見できるのだそうです。
また、河村さんが前説として盛り上げた後に、広沢さんが話す手法も奏功しました。
大石「二人三脚の演説も絶妙でしたね」
極めつけは対立構図の作り方でした。
広沢さんらは「我々は減税。他の市長になると増税になる。増税になったらどんな世界になるか?」と市民に問いかけました。
仮に100億円の減税がなくなると「減らしていた市長の給与や議員報酬も元に戻ってしまい、庶民には帰ってこないよ」と巧みに訴えかけたのです。
大石「なかなか大塚さんも勝てなかったんだろうと思います」
結果的には無党派層も含め、広沢さんの圧勝でしたが、気になるのは選挙の後。
さまざまな市政改善に向けた財源が本当に実現可能なのか、今後もウォッチしていきたいと大石。
最近行われた兵庫県知事選を含め、「SNSの力」が改めてクローズアップされている昨今。
公正な判断を期すため選挙に引き続き関心を持って頂きたい、と呼びかける大石でした。
(nachtm)