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都心の大動脈「国道246号」のルーツ 江戸を支えた古道「矢倉沢往還」とは

都心の大動脈「国道246号」のルーツ 江戸を支えた古道「矢倉沢往還」とは
CBCテレビ『道との遭遇』

全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道を紹介。今回は、東京と静岡を結ぶ古道「矢倉沢往還」を巡りました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)

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赤坂御門が起点 東京と静岡を結ぶ国道246号の前身「矢倉沢往還」

CBCテレビ『道との遭遇』

東京都千代田区から静岡県沼津市まで約125kmを結ぶ「国道246号」、通称「246(ニーヨンロク)」。江戸時代以前から存在する古道「矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)」が、国道246号のベースになっていると道マニアは言います。

CBCテレビ『道との遭遇』

赤坂見附(あかさかみつけ)駅の近くにある石垣は、江戸城の外郭門の1つ「赤坂御門」の遺構。城門の外側に面する、見張りの番兵を置いた場所を「見附(みつけ)」と呼び、「赤坂見附」の由来となっています。

246の前身「矢倉沢往還」は赤坂御門を起点とし、神奈川県の関所「矢倉沢」を通る東海道の脇往還(わきおうかん)、現在でいうバイパス的な役割を担っていました。別名「大山街道」とも呼ばれ、東海道を避ける庶民にとって参拝や商業のルートに重宝されたと言われています。

分岐を繰り返し、多摩川を渡って静岡へ

CBCテレビ『道との遭遇』

246と分岐し、赤坂見附駅の西にある「『牛鳴坂(うしなきざか)』が元々の矢倉沢往還」と道マニア。「路面が悪くて車を引く牛が苦しんだので、『牛鳴坂』と呼ばれている」と言います。

渋谷駅の東側にも、246と矢倉沢往還が分かれる重要なポイントが。「『宮益坂』の方が矢倉沢往還。渋谷の辺りは古くからお店ができて、道幅を広げるのが大変だったので、土地を買収して大きな道路を通しやすかった方が国道246号になったと思う」とのこと。道玄坂を上りきったところで、矢倉沢往還は再び246と合流します。

CBCテレビ『道との遭遇』

まっすぐ続いていた矢倉沢往還は、世田谷駅前の交差点で直角に曲がり、南へと続きます。室町時代の後半に宿場町として整備され、「『矢倉沢往還』を直角に曲げることで、建物の数を増やせるし、人をとどめることもできる」と道マニアは言います。

交差点「世田谷中央病院」から西には、「ボロ市通り」と呼ばれる道が。戦国時代に自由な行商販売が認められ、この場所では月に何度か楽市が開かれていました。次第に古着やボロ布の扱いが主流となり、「ボロ市」と呼ばれたことが定着して、正式に「ボロ市通り」と名付けられたそう。

ボロ市通りを抜けると、矢倉沢往還と世田谷通りが交わる交差点に。しかし、2つの道は合流せず、別の道としてそれぞれ存在。古道と新しい道路が入り乱れており、「矢倉沢往還が曲がっているところを新しい道が貫いたので、三角の土地ができた」と道マニア。

CBCテレビ『道との遭遇』

地元の方によると、1964年の東京オリンピックに合わせて「世田谷通り」の建設が始まり、原っぱだった場所に新しい道ができたとのこと。

そして、矢倉沢往還は東京と神奈川の境目・多摩川へ。「橋がない時代、この川を船で渡り、足柄山を越えて静岡県の沼津まで繋がっていた」と言います。

CBCテレビ「道との遭遇」2025年6月17日(火)午後11時56分放送より

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