涌井秀章が22年連続の勝利!竜ユニホームでの達成に本拠地ドーム拍手喝采
マウンドでの表情は、いつも通りだった。ドラゴンズ歴代の“エースナンバー”背番号「20」を背負う涌井秀章が、数々の記録を達成したのは、40歳を迎えてまもない夏の初めだった。(敬称略)
落合監督が讃えた投手
かつて、ドラゴンズ監督時代の落合博満さんが、埼玉西武ライオンズ時代の涌井について、こう語ったことはよく知られているエピソードである。
「あれこそエース。投手らしい投手」
マウンドではどんな時も表情を変えることなく、淡々と打者に対峙するその姿を、選手時代には3度の三冠王、そして、監督時代には8年間にわたってドラゴンズの黄金期を築いた落合さんが褒めた言葉だ。
キャンプでの熱投に見入る

ひと足早い春を迎えた沖縄、ドラゴンズ1軍キャンプ地の北谷町のブルペンで、2年連続で涌井の投球練習に見入ってしまった。出入口から最も奥のブルペンマウンドが涌井の“定位置”である。ペナントレースでの戦いに向けて投げ込む1球1球に、涌井は“意味”を込めていることが分かる。毎年キャンプでは、ブルペンでひとつの“舞台”を見せられた感覚に浸る。それが毎年春の楽しみでもある。
今季初勝利による“称号”
プロ入り22年目の2026年(令和8年)シーズンは、初登板が6月に入ってからと遅かった。しかし、その投球は見事に仕上がっていて、22年連続の勝利は時間の問題だと思っていた。そして迎えた7月11日、バンテリンドームでの広島東洋カープ戦、涌井は6イニングを93球、1失点に抑えて、今季初勝利を手にした。そして、この勝利には多くの“称号”が伴った。
史上3人目の快挙
22年連続の勝利はプロ野球史上6人目となるが、涌井の場合は、プロ1年目から22年連続勝利となる。これは、今も現役である東京ヤクルトスワローズの石川雅規の24年に次いで、米田哲也さんと並び2番目の記録である。史上3人目の快挙となった。
四世代にわたって投げ続けた
さらにすごいのは、10代、20代、30代、そして40代と“四世代”で勝ち星を記録したことである。過去には村田兆治さんや工藤公康さんら4人しかいない。涌井が5人目となった。ちなみに「10代」は、現在の日本プロ野球においては18歳と19歳の短い期間だが、この内18歳で勝利したのは涌井だけである。18歳でのプロ初勝利、ドラゴンズファンだと初登板でノーヒットノーランを達成した近藤真一(現・真市)さんの名前が真っ先に浮かぶが、近藤さんは26歳で現役を引退している。涌井がいかに長く、一線で活躍し続けたかの証しとなる記録だろう。
ファンを魅了し続ける投球
そこには間違いなく、プロとしての姿がある。ライオンズから始まり、千葉ロッテマリーンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、そしてドラゴンズと、4球団で積み上げた167勝がそれを物語り、応援するファンを魅了し続ける。筆者には生粋のロッテ党の後輩がいるが、彼は今も涌井がマリーンズ時代に背負った背番号「16」のユニホームを大切にしている。まさに魂を込めて、プロ野球のマウンドで投げ続ける涌井が、今はドラゴンズブルーのユニホームで記録を更新していくことが、竜党として楽しみで仕方がない。
試合後のお立ち台で、涌井は語った。
「素直に嬉しい。もう40(歳)なんだなって思いました」
その表情はいつも通り淡々と、でもそれが涌井秀章なのである。円熟味を増す投球術で、今ひとつ勝ち切れない金丸夢斗ら竜の若手投手陣を鼓舞してほしい。
【CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)ほか。











