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岩瀬、永久欠番へのファンの思いと背番号にまつわるドラゴンズの絆

岩瀬、永久欠番へのファンの思いと背番号にまつわるドラゴンズの絆

球団納会に来年のドラゴンズカレンダーの発売と、年の瀬を感じる11月21日、CBCラジオ『ドラ魂KING』では、引退登板から二か月が経った鉄腕岩瀬仁紀投手の1,000試合登板を振り返りました。

背番号13番を永久欠番に

『岩瀬さんの背番号が永久欠番にならなければ、これから先、ボクが死んでも他には現れません。』
一歳違いの親友、川上憲伸さんのひと言が心に響きました。

岩瀬投手は、初登板から20年、前人未踏の1,002試合の登板、入団から15年連続50試合登板、史上最多407セーブ、最優秀中継ぎ投手3度、最多セーブ5度獲得。2007年の日本一決定試合でのパーフェクトリレーは語り草。

「13番を永久欠番に」

ファンの声は、引退表明直後から番組に多く寄せられています。

そのファン心理を実感した上で、川上さんは言葉を続けます。
『岩瀬さんの性格からして、固辞するでしょうね。ルーキーの頃に、活躍して高級車を買いましょうと誘っても、「オレ、そんな車いらないから、車がなくてもいいから」と言っていた人ですからね。』

『間違いなく永久欠番に相応しい方ですが、ドラゴンズの伝統からして新たな永久欠番は難しいですね。メジャーリーグでの捉え方とは違います。』とマイクの前で語ってくれました。

ドラゴンズには、半世紀以上前からの永久欠番が二つあります。お一人目は、戦前は投手としてノーヒットノーラン、第二次世界大戦で肩を負傷されたため、戦後は外野手として活躍された15番の西沢道夫さん。そして、戦前から捕手として本塁打王にも輝き、1954年には球団初の日本一に導いた10番の服部受弘さん。
お二人の永久欠番決定には、記録はもちろんのこと、球団の草創期を支え、戦禍を乗り越え、優勝を果たした時代背景もあったようです。

ドラゴンズのエースナンバー20番

ドラゴンズが誇る栄光のエースナンバー20番についても、球団幹部によりますと、杉下茂さんが引退された際、着けていた20番を3人目の永久欠番にどうか、という球団からの打診を受けたそうです。しかし、杉下さんは、

『ドラゴンズの20番を自分で終わりにするのではなく、将来のエースに着けてもらいたい。』との願いから、固辞されました。

その心意気があったからこそ、のちに、権藤博、星野仙一、小松辰雄ら栄光の系譜が生まれ、我々はジャイアンツキラーの歴史に酔いしれました。日本野球界でのエースナンバーは18番であっても、ドラゴンズのエースは20番なのです。

昨日発売された中日ドラゴンズカレンダー2019。近い将来、20番を付けたエースのワンショットは、誰であって、何月に載るのか。そして、岩瀬投手の13番が永久欠番にならないのであれば、この先、誰が新たな歴史を紡いでくれるのでしょうか。それも想像しながら来年のカレンダーをめくっています。

【CBCアナウンサー 宮部和裕(みやべかずひろ)
CBCラジオ「ドラ魂キング」(毎週水曜午後6時放送)ほか、ドラゴンズ戦・ボクシング・ラグビーなどテレビやラジオのスポーツ中継担当。生粋の元少年ドラゴンズ会員。山本昌のノーヒットノーランや岩瀬の最多記録の実況に巡り合う強運。早大アナウンス研究会仕込みの体当たりで、6度目の優勝ビール掛け中継を願う。】

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