「日本一パレード」常勝竜を支えた、岩瀬仁紀の叶わなかった夢
『いやあ、ボク、現役引退で心残りがあるとしたら、日本一でのパレードをしたかったことです。』
引退したばかりの岩瀬さん本人は、実に名残惜しそうに語ります。
ええっ!何度もやってるでしょ!と、全てのドラゴンズファンが、総突っ込みを入れたくなる発言。
2007年秋、日本中で議論も生んだ史上初日本シリーズ制覇を決める山井、岩瀬のパーフェクトリレー。その張本人が、歓喜のパレードに参加しない訳がない。名古屋駅前から栄周辺まで、何十万というファンが幾重にも重なり『ありがとう』の手を振ったあの花バスの中心は、あなた以外に誰がいるのですか。
『皆さん、完全リレーのことばかり話し掛けてくださいますが、ボクにとっては、それよりも、経験したかったパレードなのです。』
現役時代はあれだけ凄い活躍をしていながら、発言は控えめで、ごくごく普通だった岩瀬さんは、その緊張感から解き放たれたのか、実に流暢に話を続けます。
『もちろん、リーグ優勝のパレードは何度も参加できましたよ。ただ、あの年の日本一パレードだけは、日本代表の召集日と重なっちゃって、ダメだったんです。』
ドラゴンズにとって53年ぶりの日本一。だからこそ、20年に渡る現役生活の中でも、格別な思いがありました。
後援会で明かした胸中
そんな胸の内を明かしたのは、限られた仲間内だけでの宴席でした。その仲間とは、地元西尾市の実家ご近所さんを中心とした岩瀬仁紀後援会。新人時代から実に20年間に渡って活動し、控えめに岩瀬の細腕繁盛記を見守ってきました。
地元の寿司店を貸し切りバスの集合場所に、全国各地へ遠征。揃いの法被と横断幕で観戦したのは、実に10球場を数えました。
その日、岩瀬投手の出番があるかどうかは、祈るしかありません。大記録達成の決定的瞬間も、そうではない悪夢も、共に見守り続けてきました。
『最後の5年ほどは、ケガをどうしたらカバーできるか、苦しさしかなかった。』と本人振り返りますが、その象徴的シーンのひとつは、ある年の沖縄キャンプ観戦ツアーの初日でした。
岩瀬後援会の皆さんは、団体で沖縄へ。一方、岩瀬投手本人は、キャンプで状態が上がらず、その日の朝、名古屋の病院で検査のため、機上の人に。皮肉にも、両者が空路ですれ違うという事態に。それでも、沖縄初日の晩、主役不在のパーティーで頭を下げ続ける岩瀬投手のご両親の姿が、忘れられません。
後輩たちへの言葉
見守る仲間がいるからこその20年。だからこそ、もう一度、日本一になって、みんなでお祝いをしてから引退したい。
そして、岩瀬本人の願いは、単純にパレードのバスに乗りたいということだけでは、もちろんありません。
『かつての常勝軍団ではなく、自分が苦しんだ時代に、後輩たちと喜びを分かち合いたい。』
だからこそ岩瀬は、ポジションの枠を越え、京田には『結果を次の日に引きずるな。仕草に出すな』と。守護神の後継候補の一人、佐藤優には『初球にこだわれ。試合終了まで、拳を突き上げるな』と、ここぞでという所で厳しく接してきました。
そのとおり、岩瀬の現役ラストメッセージは、自身の振り返りではなく、後輩たちへの言葉に終始しました。
『ドラゴンズはこんなチームじゃない。個々の能力は高い。意志を改革していかないと。メンタルをいかに強くできるか。努力だけじゃなく、プロとして結果を残すことでしか、チームの力は、つけられない。』
悲観も楽観もしない。これぞ岩瀬の細腕繁盛記。生まれ変わるチームに託されたものは偉大です。燃えよドラゴンズ。
【CBCアナウンサー 宮部和裕 CBCラジオ「ドラ魂キング」(毎週水曜午後6時放送)他、ドラゴンズ戦・ボクシング・ゴルフなどテレビ・ラジオのスポーツ中継担当。生粋の元少年ドラゴンズ会員。山本昌ノーヒットノーランや岩瀬の最多記録の実況に巡り合う強運。早大アナウンス研究会仕込みの体当たりで、6度目の優勝ビール掛け中継を願う。】