風来坊の「元祖手羽先唐揚げ」は食材の発注ミスから生まれた!?
名古屋名物手羽先といえばこのお店!と名が上がる「風来坊」と「世界の山ちゃん」。それぞれ味付けに違いがあり、甘辛いタレを全体にまとった風来坊の手羽先に対し、スパイシーな味付けで知られている世界の山ちゃんの手羽先。実は風来坊と山ちゃんにはちょっとした繋がりがあるのをご存じですか?今回は風来坊の歴史とこだわり、そして世界の山ちゃんとの意外な繋がりについてご紹介します。
風来坊の前身は創業者の出身地である北九州の小さなお店
風来坊が名古屋に誕生したのは1963年。北九州の小倉市(現在の福岡県北九州市小倉区)出身である創業者の大坪健庫さん(以下大坪さん)が熱田区の日比野に構えたのが最初の店舗です。しかし、なぜ北九州出身の大坪さんがわざわざ名古屋にお店を構えたのか。もともとは北九州で妻と一緒に小さな飲食店を経営していたそう。当時は手羽先を提供しておらず、鶏肉を素揚げしたものに独自にブレンドしたタレをつけたメニューを提供していました。これがお客さんに好評だったようで、日夜タレの研究を行っていたという。
なぜ風来坊は名古屋で開業したのか?
北九州で飲食店を経営し試行錯誤して作った唐揚げに使用するタレに自信を持った大坪さんは、妻とともに地元を離れて勝負をかけることを決意。最初は静岡県浜松市で開業するつもりでしたが、当時の大坪さんの年齢は34歳。保証人なしでは店舗を貸してくれるところがなかったという。ところが、不動産業者から「名古屋なら保証人なしで借りられるところがある」という情報を聞き、すぐに名古屋へ移動。こうして「風来坊」は名古屋でお店を構えることになりました。
当時は東京オリンピックを目前に控え、東海道新幹線が東京、大阪間を結んだこともあり、人が集まりやすいところにお店を出したかったという思いが伝わります。店名が風来坊となったのは妻の発案。当時、鶏料理を扱うお店は「鳥」をつけるのが常識だった中で、信念がありながらも様々なことに挑戦する夫の大坪さんを「ひとつのところにとどまらない人」つまり「風来坊」と妻が名付けたそう。
発注ミスから生まれた名物手羽先唐揚げと、そのこだわり
名古屋にお店を構えた当初は、北九州で営業していた頃と同様に丸鶏を部位ごとにさばいた料理を提供していたそう。中でもひな鶏の半身を丸ごと素揚げして、秘伝のタレと調味料で仕上げた「ターザン焼」は同店の名物料理として人気がありました。
ある日、仕入れの発注ミスでターザン焼に使用するひな鶏が手に入らなかったことがありました。名物料理を提供できないことに困った大坪さんは仕入れ業者の倉庫に出向き、大量に積み上げられた手羽先を発見。当時、手羽先はスープの出汁をとる以外には、ほとんど使われない食材でしたが「この手羽先にターザン焼のタレをつけたらどうか」と考え、その手羽先を店に持ち込み調理。これが大ヒットし、ターザン焼と並んでお店の看板メニューとなりました。これこそがまさしく「元祖手羽先唐揚げ」の誕生だったわけですね。
偶然が生んだ同店の名物手羽先唐揚げですが、大坪さんはこれにあぐらをかくことなく、常に研究を重ねたそうです。そのこだわりとは?
風来坊で使用する手羽先は35グラムと1グラム単位でサイズを決定するほどの徹底ぶり。揚げ方にもこだわり、最初は160度の油で素揚げ、一度取り出し、次は190度で揚げることで外はカラッと、中はやわらかく仕上がるといいます。
風来坊の手羽先唐揚げの味を決めるのに一番大事なもの、それは「タレ」。みりん、醤油、ニンニクスライス、そして3種類の調味料をブレンドし、1か月ほど熟成させたタレは、手羽先のうまみにも負けない同店独自の甘辛い味わいを生み出しています。さらに盛り付けにも秘密が。
風来坊では提供時に向きが揃わないと見栄えが悪いという理由から、手羽先の右の羽と左の羽をそれぞれ分けて肉面を上に、皮面を下にして扇形に並べます。お客さんが食べる瞬間まで想像した細かなこだわりです。
手羽先の山ちゃんをも魅了した元祖手羽先風来坊
手羽先唐揚げの二大巨頭と言っても過言ではない「風来坊」と「世界の山ちゃん」。実は世界の山ちゃん創業者の山本重雄さん(以下山本さん)が、かつて働いていた居酒屋と風来坊が隣同士だったそうです。当時は風来坊の手羽先の味を真似した店がたくさんできており、山本さんも風来坊の手羽先を真似しようと試行錯誤を繰り返したそうですが、やはりその味をうまく真似ることができなかったといいます。結果として山ちゃんでは独自のスパイスを考案することで有名店となりました。風来坊と世界の山ちゃんの手羽先に対してのこだわりがなければ、「名古屋名物」としての手羽先唐揚げは存在していなかったかもしれませんね。
ライター名
KENTA
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#名古屋めしデララバ