中日OB・平田良介が激白!ドラフト1位指名後の屈辱
10月24日放送の『ドラ魂キング』(CBCラジオ)、この日のゲストは元中日ドラゴンズの平田良介さん。この日はドラフト会議の日。その真っ最中に、平田さん自身のドラフトを振り返ってもらいました。2005年の高校生ドラフトで中日ドラゴンズに1巡目指名された平田さんでしたが、その後のインタビューで実はとても悔しい思いをしたといいます。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く「つらかった。悔しかった」
大阪桐蔭高校出身。甲子園で大活躍した平田さんは、辻内崇伸さん、鶴直人さん、岡田貴弘(T-岡田)さんとともに「浪速の四天王」と呼ばれ、ドラフトの大注目選手のひとりでした。
平田さんは自身のドラフトを「つらかった。悔しかった」と振り返ります。
同じ高校の辻内さんは読売ジャイアンツから、平田さんはドラゴンズからそれぞれ1位指名を受け、その後ふたり一緒にインタビューを受けました。
平田「質問が9割辻内なんですよ。巨人。場所は大阪で、辻内は巨人、僕は中日。9割辻内の質問で1割が僕なんすよ」
しかもまだ平田さんの会見が続く中、辻内さんへの質問を終えた記者たちがさっさと帰っていったというのです。
同じドラフト1位なのに…
平田「それ見てたんで、『絶対成り上がったるからな、こいつら』と思って。そこから僕、始まってるんですよ」
ドラフト後の会見で大人の世界を見せられてしまった平田さん。この悔しい気持ちから、平田さんのプロ野球人生はスタートしました。
辻内さんは甲子園で最速152キロをマークし、当時の大会タイ記録である1試合19奪三振を記録。平田さんはその次の試合で3本塁打を記録しました。
平田「『辻内、平田ヤバい!』みたいな。両方ドーン!っていう取材やったんですよ」
それなのに、蓋を開けてみたら平田さんへの取材はたった1割。同じドラフト1位なのに、この違いです。
平田「もう僕、拳グーーーなってましたもん」
怒りに震えた日「見とけよ!」
この平田さんの告白に「意外」と高田寛之アナウンサー。
高田「2005年ってそろそろパ・リーグもわんさか言ってきて。12球団、巨人だけじゃないよ、みたいな。ワーッと盛り上がってきた時だったじゃないですか。それでもまだ扱いとしてはそうだったんですね」
平田「全然違いましたね。びっくりしました、あの時は」
高田「それこそ『巨人だけは絶対倒したる!』っていう」
平田「そうです。『見とけよ!』言うて。『絶対、辻内よりは有名なるし、俺が球界代表する選手なったるからな』思いながらプロ野球生活を送ってました」
ドラフト会議の当日は、「腹わたが煮えくり返っていた」と吐露する平田さん。
「一軍でやろうぜ!」
高校ドラフトのメンバー同士は、仲間意識が強かったといいます。
平田「意識しながらも応援する方の意識ですよ。『一緒に頑張って、お互いに一軍でやり合おうぜ』みたいな」
同期とはまずフェニックス・リーグで対戦することが多かったそうです。
平田「そこで辻内ともやったんかな、確か。『俺らこんなとこでやってる場合ちゃうよな』みたいな。『一軍でやろうぜ!』言ったんは覚えてますね」
辻内さんは故障が多く、その後なかなか一軍で活躍できないまま現役生活を終えました。
平田「怪我がない世界線も見てみたかったなって思いますよね」
悔しさがバネになった
ドラフト後の記者会見の悔しさから、自宅に帰った後も荒れていたという平田さん。
平田「『ただいま』言うて、『1位やったな。なんで機嫌悪いん?』て。『記者会見こんなんやった』言ったら、『見返したりやー!』って言われて、母親に。『そのつもりじゃいー!』言うて」
それもいい経験だったと振り返る平田さん。
平田「よーいドンで大人の世界を見せられて、心臓をえぐられる感じで始まったんで。だから負けん気でできたんかなと思いますね」
ドラフト後の悔しさからスタートした平田さんのプロ野球人生。
この悔しさを乗り越えようとする思いが、その後の活躍の原動力となったのは間違いないようです。
(minto)