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川上憲伸が語る落合博満監督の挑戦!衝撃の紅白戦とドラゴンズ改革

川上憲伸が語る落合博満監督の挑戦!衝撃の紅白戦とドラゴンズ改革

4月2日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』で、新コーナー「川上憲伸、挑戦のキセキ」がスタートしました。野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という視点から振り返り、当時のエピソードを深掘りしていく企画です。記念すべき第1回のテーマは、2004年から中日ドラゴンズを率いた落合博満元監督。川上さんが現役時代に体験した指導やチームの変化について語ります。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。

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「よろしく」だけの短い挨拶

落合博満監督は2004年の就任1年目でリーグ優勝。2011年までの8シーズンで日本シリーズに5回進出し、2007年の日本一、2010年・2011年のセ・リーグ連覇を達成しました。

川上さんが最初に思い浮かべたのは、就任直後の落合監督が選手の前で初めて挨拶をした時の様子でした。

川上「ものすごく短かったです、言葉が。本当に『よろしくな』と」

「妥協は許さない」「練習は厳しいぞ」といった言葉があると思いきや、「一瞬、『もう自由にしてください』ぐらいのイメージだった」と振り返ります。

川上「大人だから言わない。わかってるだろうからと。その程度でしたよね。逆にそれが気持ち悪かったですね」

星野政権との違いに戸惑い

それまでの星野仙一監督時代は全て管理されていたイメージがあったといいます。

川上「とにかくピッチャーは下半身が大事だということで、ランニングメニューもトレーニングコーチが決めるというより、星野監督がなんとなく決めてるんじゃないかぐらいまで思ってました」

そんな中、落合監督は「ピッチャーのことはよくわからないから、森繁ピッチングコーチに任せた」「サボりたいやつはサボれ」といった姿勢だったといいます。

川上「もうこれにちょっとドキッとしました」

川上さんがさらに驚いたのは、2月1日のキャンプ初日に紅白戦を行なうという落合監督の方針でした。

前年12月の暮れに監督付きマネージャーから「『来年2月1日、キャンプインで、肩作っといて投げられるようにしといてね』という監督からのお話です」という電話があったというのです。
 

1ヶ月先へのタイムワープ?

川上「試合できる状況にって言われたんで。試合って言っても、どのレベルまでの試合なのかな、と。極端な話、マウンドに立ってなんとなくピッチャーとして投げればいいレベルなのか、もうオープン戦状態にしとくのか」

オープン戦は3月1日から始まるのが通例。その時期を丸1ヶ月も前倒ししてしまうことに、川上さんは混乱してしまったといいます。

川上「僕の中では、まずないなと思ったんですよ。1ヶ月ワープするわけじゃないですか。キャンプがなく試合をしろってことじゃないですか」

結果、川上さんは「草野球レベル」での投球を予想していたそうです。

1月下旬から多くの選手が「自主トレ」という名目で沖縄入りし、他のピッチャーたちはブルペンでガンガン投げ込みをしているという話を耳にした川上さん。

「本当かな」と半信半疑のまま、1月30日頃、紅白戦の数日前に沖縄入りすると、実際に選手たちの様子を目の当たりにして驚きを隠せなかったといいます。
 

147キロ、シーズン前の衝撃

川上「しっかり投げてるやつがいっぱいいると。で、実際2月1日どうなるのかなと思って。ランニング終わって、アップ終わって、キャッチボール終わって」

迎えた紅白戦では、先輩投手たちが予想以上の出来栄えで投げていたそうです。

川上「えっ!山本昌さん、こんだけ投げられるの。野口(茂樹)さん、こんだけいけるの?ってびっくりして。なんなら変化球バンバン投げてるじゃん」

自身も、急遽カーブやフォークを投げたといいます。

そんな予想を超えた本気の姿勢に、川上さん自身も全力投球モードに突入します。

川上「アドレナリンがその時に出たというか。確か福留孝介とも対決したと思うんですけど、彼も結構真剣モードで振ってきてたんで、気持ちが入っちゃって。147キロって、そのシーズンのMAXに近いぐらい出たんで」

「人間ってやればできるんだ」と驚いたという川上さん。

リスクを背負った落合改革

しかし、実際に選手たちをこのような意識に仕向けたのは、落合監督の「少ない言葉」でした。

川上「今までのこのドラゴンズじゃダメなんだろうなというのを監督就任って言われた時から、どうしようか、こうしようかって考えたと思うんですよ」

落合監督の改革についてさらに考察する川上さん。チーム全体を変えることの難しさと意味について語ります。

川上「挑戦ってね、簡単に言いますけど、ひとりふたりじゃなくて、全体のチームの意識を変えたわけじゃないですか。0になる可能性もある」

当時のドラゴンズはけが人は多かったものの強く、優勝は届かないもののAクラス入りは果たしていました。そんな中での大幅な改革にはリスクもあったと川上さんは振り返ります。

中堅選手たちの目覚め

川上「だけど、一気にそういう思い切ったことにも見えるようなことすると、ひょっとしたら最下位の方まで行く可能性もある。落合監督は相当考えたのと、絶対優勝まで行けるっていう革新的なものもあったのかなって感じしますよね」

この改革がチームにどのような変化をもたらしたのか、川上さんは当時の様子をこう振り返ります。

川上「20代半ば過ぎの中堅選手たちが一番ピリッと来てましたね。普段はのんびりしがちなベテランと若手の間に差が出る部分があったんですが、そういう選手たちがすごく一斉に身が引き締まったという感じでしたね」

そしてこの改革は、見事に実を結びました。わずか数ヶ月後、落合監督は就任1年目でリーグ優勝を達成。その後も日本一を含む計5度の日本シリーズ進出を果たし、中日ドラゴンズの黄金時代を築いたのです。
(minto)
 

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