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“昭和の夏休み”思い出を語ろう!ラジオ体操、プール登校日、そして部活動

“昭和の夏休み”思い出を語ろう!ラジオ体操、プール登校日、そして部活動
イメージ画像:「夏の学校のプール」(写真ACより)

学校の夏休みが始まった。元気に鳴く蝉の声を聞きながら、懐かしい昭和の時代の夏休みを思い出す。姿を消したもの、姿を変えたもの、そして、今なお続いているもの。全国各地でいろいろある中、名古屋の下町における夏休みの思い出という“限定されたもの”としてお読み下さい。

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早朝は町内でラジオ体操

イメージ画像:「ラジオ体操カード」(写真ACより)

1学期終業式の翌日から始まったのが、早朝のラジオ体操だった。正直、あまり行きたくなかったが、主催である「子供会」の役員になった上級生の夏休みには、参加せざるを得なかった。午前6時30分のラジオ放送に合わせて、町内にある空き地に参加する子どもたちが集まって来る。子供会役員の仕事は、参加者が持つ手帳のカレンダーに「出席」スタンプを押すことであった。第1と第2、2種類のラジオ体操を終えて、三々五々解散となる。しかし、夏休みの40日間、毎日あったわけではなく、土日はお休み。8月に入った頃には毎朝のラジオ体操も終わっていた。そんな期間限定だった。

まもなく100周年を迎える

ラジオ体操は、1928年(昭和3年)に、国民の健康保持と増進のために始まった。まもなく100周年を迎えることになる。老若男女すべての国民が対象だったこともあって、生活のリズムが崩れやすい夏休みに導入されたのであろう。しかし、準備をするのは町内の大人たちであり、今思うと、毎朝大変だったことだろう。近年は「音響がうるさい」という騒音問題や、新型コロナ禍もあって、各地で開催回数が減っているとのこと。“夏休みの風物詩”だったラジオ体操にも、時代の波は押し寄せている。

出校日は先生の給料日

40日間の夏休み期間、「出校日」は3回あった。7月中に1回、8月上旬に1回、これは学年別の「出校日」だった。そして、3回目の「出校日」となる8月16日だけは、全校出校日だった。なぜか毎年、8月16日だった。夏休みも残り2週間のタイミング、全校が揃うといかにも“プレ・2学期”のようで、あまり好きではなかった。後になって知ったが、この8月16日は、先生たちの給料日だった。当時は、銀行口座への振り込みなどはなく“現金支給”だったので、教職員も学校へ来なければならない。どうせなら“それに合わせて”という日程だったのだろう。

楽しかった「プール出校日」

「出校日」でも、大歓迎だったのは「プール出校日」だった。水泳講習のための「出校日」である。これは学年ごとどころか、2~3クラスごとの“少人数”だった。1時間ほどプールに入って、帰宅した。まだまだ冷房が普及し切っていなかった当時は、涼を取るためにも歓迎だった。特に、プール掃除の当番クラスに当たると嬉しかった。長い夏休み、プールの水を入れっぱなしというのも不衛生で、定期的な水の入れ替えがあった。水が抜かれていくプールに、モップを手にして入って壁や床を掃除した。いつもの講習の1時間で終わるはずもなく、たっぷりとプールを楽しむことができた。掃除後は、新しい水の入ったプールで真っ先に泳ぐ“特権”もあった。

宿題帳「夏のせいかつ」

イメージ画像:「夏休みの宿題をする子供たち」(写真ACより)

宿題の代表格は「夏のせいかつ」と題された“宿題帳”だった。国語、算数、理科、社会などすべての学習科目のページがあった。書道や図画工作のページもあり、そこには、実際に作品を作って、持参しなければならない“見本”が紹介されていた。「夏のせいかつ」の表紙は、名古屋市内の別の学校、同じ学年の“誰か”が描いた絵だった。筆者の通っていた学校からは、一度も選ばれていなかった。そもそも、その絵の応募について知らなかった。学校ごとでの参加だったのかもしれない。

灼熱のクラブ活動

イメージ画像:「水泳部」(写真ACより)

夏休みは、日頃クラブ活動に参加している者にとっては、集中できる期間である。筆者は、小学時代は水泳部、そして中学時代は卓球部に所属した。炎天下での「うさぎ跳び」や、2時間に1度ほどの休憩時間にしか水を飲むことができない練習など、体調管理の理由から現在では姿を消した“特訓”も体験した。先に休憩時間に入る先輩部員に、自宅から持参していた水筒の冷えたお茶を全部飲まれてしまうという、何とも悲惨な思い出もある。それでも、授業のことは忘れて、ひたすら好きなスポーツに汗を流した。夏休みのクラブ活動は懐かしい思い出である。

時は流れ、時代は変わり、夏休みのあり方も過ごし方も大きく変貌した。でも、思い出を作るということだけは、今も大切にされているはずだ。海へ山へ、皆で旅に出かける楽しさもあった。大人になってから振り返る夏休みの思い出は、やはり記憶の片隅に残っている。子ども時代、どんな夏休みを過ごしましたか?そして、一番の思い出は何ですか?
        

【東西南北論説風(608)  by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。

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