祭りの後のパリは?五輪パラリンピックが終わりフランスに訪れそうな混沌
エッフェル塔に飾られた五輪マークの今後はどうなるのか。100年ぶりの五輪開催、そしてパラリンピックが終わったパリで、論争が続いている。
どうなる?塔の五輪マーク
事の発端は、パリ市長の発言だった。五輪パラリンピックの期間中、エッフェル塔には巨大な五輪マークが取り付けられていたが、アンヌ・イダルゴ市長が「IOC(国際オリンピック委員会)と協力して、そのまま残したい」と言い出したのだ。これに対し、文化大臣が「文化遺産であるエッフェル塔に改造を加えることは影響が大きい」と異議を唱えた。エッフェル塔を設計したギュスターブ・エッフェルさんの子孫も「承認していない」と反発、フランスの通信社AFPは「法廷闘争になるかもしれない」と報じた。五輪が終わっても、パリは熱い。
町全体が五輪会場だった
世界の人たちを興奮させたパリ五輪、そしてパリパラリンピックが閉幕した。今回の大会では、かつてない試みが実現した。名所や旧跡はじめ「95%は既存の施設や仮設の競技場を活用する」という当初の構想通り、五輪の開会式はセーヌ川、パラリンピックの開会式はフランス革命の舞台のひとつコンコルド広場、エッフェル塔の下ではビーチバレー、グラン・パレではフェンシング、さらに郊外のベルサイユ宮殿では馬術や近代五種など、大会が進むにつれて、“花の都”と言われるパリが、世界にアピールされていったのが印象的だった。しかし、五輪後のパリには様々な課題が残されている。
セーヌ川の汚染は続く?
五輪開会式で、選手たちが船に乗って“入場航行”したセーヌ川は、トライアスロンや10キロ遠泳の競技会場となった。下水道施設の整備が遅れ、20世紀初めから遊泳禁止になってきたセーヌ川だが、大会をきっかけとして、長年の課題であった水質浄化を進める計画だった。しかし、雨が降って汚染された水が川に流れ込んだことから、大腸菌の数値が上がって、公式練習が中止された。水質を理由に競技を棄権した選手もいて、また、出場した複数の選手が、競技後に体調を崩して入院した。パラリンピックでもトライアスロンの会場となり、パリのイダルゴ市長は五輪前に続いて、再び自らが泳ぐパフォーマンスを披露した。パリ市は2025年に「市民がセーヌ川で泳ぐ」構想を持っていて、遊泳エリアも設ける予定だが、川の浄化の行方は不透明である。
移民たちは戻れるのか?
五輪パラリンピックを機に、都市の再開発にも着手した。それによって、移民たちが町から排除された。NGO団体の報告書によると、大会までの1年間で、移民ら1万2,000人が、テントなどの仮住まいから強制排除されたという。パリの北東に面したサンドニ県には、選手村が作られた。サンドニ県は工業地帯で、住む人の多くは工場で働く移民だった。選手村の場所は、もともと外国人労働者が住んでいる住宅だった。選手村の建物は、今後6,000人が暮らせる住宅に生まれ変わり、その一部は低所得者用の公団となるが、移民たちがもう一度戻ってくることがかなうのかどうか。フランスの三色旗の色は「自由・平等・博愛」を表している。その精神に沿った歩みに期待したい。
深刻な物価高の行方
五輪に影響されての物価高も深刻な問題である。大会期間中、メトロ(地下鉄)の運賃も値上がりした。また、市内のレストランも五輪の観光客を狙って、軒並み値上げした。ビールも5割近く高くなったと伝えられる。フランスの消費者物価指数の伸び率は、前年に比べて5%前後上昇した。物価がすぐに落ち着くとは思われず、影響は残りそうだ。
政治の混乱に終止符は?
そして、五輪期間中は“一時休戦”状態だった政治である。大会直前の国民議会(下院)総選挙で、マクロン大統領の与党連合、左派連合、そして極右政党、3つの勢力が拮抗した結果となり、政治が不安定な中での五輪開催だった。それがいよいよ動き出す。マクロン大統領によって、新しい首相も選ばれたが、組閣が順調に進むのかどうか。さらに、膨らみ続ける国の借金による財政赤字も深刻だ。国内総生産(GDP)に対する政府の債務も120%近い。政治の課題は山積している。
心配されたテロなど大きなトラブルもなく、競技自体も熱戦が多かった。100年ぶりの大会は成功したと言えるだろう。しかしその陰には多くの問題が先送りされていた。メダルラッシュに沸いた日本にとっても、フランスという国の今後は、大きな関わりを持ってくる。祭りの後のパリ、そしてフランスをしっかりと注視していかなければならない。
【東西南北論説風(521) by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】