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どこか淋しい「電報」の廃止論~携帯電話やSNSで大きく変わった連絡手段の歴史

どこか淋しい「電報」の廃止論~携帯電話やSNSで大きく変わった連絡手段の歴史
CBCテレビ:画像『写真AC』より「電報の看板」

夏の終わりと共に、筆者は42年余りを過ごした会社を卒業した。手元に大切に保存している色あせた1通の電報、それは社会人としてスタートする切符のようなものだった。「サイヨウナイテイス」(採用内定す)というカタカナ文字が懐かしい。

「電報」の利用は激減

そんな電報が姿を消そうとしている。2024年(令和6年)8月、NTTの島田明社長が、電報サービスを終える議論を始めていくことを明らかにした。電報は、郵便の手紙よりも早い連絡の方法として、1870年(明治3年)に始まった。ピーク時は、最初の東京五輪の前年、1963年(昭和38年)で、9,400万通余りの利用があったそうだ。しかし、2022年度には約380万通と、わずか4%の数にまで減った。まさに激減、その背景には、連絡手段としての携帯電話やメールなどの普及がある。

名文句「サクラサク」

電報は、カタカナで10文字まではいくら、それを超えると一文字いくら、など細かく料金が決まっていて、いかに短い言葉で文章を納めるかと工夫したものだ。合格など吉報を伝える時の5文字「サクラサク」(桜咲く)が代表的な例だろう。よく練られた5文字である。緊急連絡の際の「チチキトク」(父危篤)も知られる。この5文字の後に「スグカエレ」(すぐ帰れ)が付く場合もある。また電報は、冠婚葬祭の“必需品”でもあった。結婚式の披露宴では「祝電披露」のコーナーが用意されている。また、葬儀などでは、参列できない人が弔意を示す「弔電」の紹介もある。喜びも悲しみも運んできた電報だが、今後、NTTによるサービスは終焉に向かうことになりそうだ。

「104」も終了決定

CBCテレビ:画像『写真AC』より「黒電話」

NTTが関わるサービスの中、姿を消していくものが他にもある。電話番号案内の「104」である。ダイヤルするとオペレーターが出て、こちらが伝えた名前や住所などから、相手の電話番号を教えてくれる。以前、この案内は肉声だったが、番号を伝えるところからテープでの案内に変わった。有料であるため、インターネットが普及すると、それで電話番号を検索する人が増えて、ピーク時の60分の1まで利用数が落ち込んでいた。2026年3月末で、136年の歴史を終えることになった。

「電話帳」も姿を消していく

電話番号を調べる手段として、案内サービス「104」がなくなると共に、紙の電話帳「タウンページ」も同じ2026年3月の発行が最後になる。会社や商店などが掲載されているもので、個人の電話番号を載せた電話帳「ハローページ」の方は、すでに新規の発行を終了している。「電話帳」と言えば“分厚い”冊子の代名詞でもあった。ページいっぱいに並べられた世帯主の名前と住所、そして電話番号のリスト。個人情報が管理されている現在では、まさに“遺産”となった存在だろう。

天気予報ダイヤルも・・・

気象情報を聞くことができる「177」のサービスは、ひと足早い2025年3月末に終了となる。運動会や遠足の前日などは、この「177」をよく利用して、録音された天気予報を聞いたものだ。昭和時代の末期には、まだ全国で年間3億件以上の利用があったが、2023年度は550万件余りと、ピーク時の2%にまで少なくなったという。スマートフォンなど携帯電話で、天気の情報を入手する時代になった。電報、番号案内「104」、電話帳、そして天気の「177」、いずれも暮らしの中に欠かせなかったツールだった。それぞれのサービスの去り行く姿に「ありがとう」と言葉をかけたい思いである。

CBCテレビ:画像「採用内定連絡の電報(筆者所有)」

冒頭の入社内定の電報文「サイヨウナイテイス」の後には「ダクヒオデンポウウタレタシ」(諾否を電報打たれたし)と続けられていた。電報を受け取り、電報で答える。今では信じられない“短文のキャッチボール”である。昭和という時代も遠くなった。

【東西南北論説風(518)  by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。

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