東京・赤坂見附の名前の由来に驚き!?東京と静岡を結ぶ古道「矢倉沢往還」から歴史を紐解く旅

ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、歴史の痕跡を残す“古道”を愛してやまない道マニア歴26年の荻窪圭さんが、東京と静岡を結ぶ古道を巡ります。
「国道246号」の前身の古道「矢倉沢往還」

荻窪さんが訪れたのは、東京都千代田区にある三宅坂交差点。アイドルグループ・Toi Toi Toiのさくらももさんと一緒に旅をします。
(道マニア・荻窪圭さん)
「ここは、東京と静岡を結ぶ国道246号の起点になっている場所。この道の前身だった、江戸を支えてきた古い街道を巡りたい」
東京都千代田区から静岡県沼津市まで約125kmを結ぶ「国道246号」、通称「246(ニーヨンロク)」。江戸時代以前から存在する古道「矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)」が、国道246号のベースになっていると荻窪さんは言います。

2人はまず、246をたどりながら赤坂見附(あかさかみつけ)駅方面へ。すると、江戸城の外郭門の1つ「赤坂御門」の遺構が現れます。

(道マニア・荻窪圭さん)
「昔、あの石垣がある場所に大きな門があって、江戸の入り口の1つだった。外から来る人を監視する見張りがいた」
城門の外側に面する、見張りの番兵を置いた場所を「見附(みつけ)」と呼び、「赤坂見附」の由来となっています。
(道マニア・荻窪圭さん)
「江戸時代、ここから始まる道は『矢倉沢往還』と呼ばれていた。神奈川県の『矢倉沢』とうい場所に関所があって、矢倉沢と江戸を結ぶ道で『矢倉沢往還』」

赤坂御門を起点とし、静岡まで続いていた246の前身「矢倉沢往還」。神奈川県の矢倉沢を通る東海道の脇往還(わきおうかん)、現在でいうバイパス的な役割を担っていたこの道は、別名「大山街道」とも呼ばれ、東海道を避ける庶民にとって参拝や商業のルートに重宝されたと言われています。
246と矢倉沢往還が分かれる重要なポイントへ

続いて2人は、西に進み港区へ。すると、赤坂見附駅の西に位置する場所に、古い道の痕跡が。
(道マニア・荻窪圭さん)
「大通りからちょっと斜めに入る道がある。まっすぐの道は明治以降に造られた道。元々の道はこの左に曲がっている斜めの道」
赤坂を走る246から突如斜めに分岐する道。この道こそが古くから存在する矢倉沢往還のルートで、「牛鳴坂」へと続きます。
(道マニア・荻窪圭さん)
「路面が悪くて車を引く牛が苦しんだので、『牛鳴坂(うしなきざか)』と呼ばれている」
その後、246と矢倉沢往還は合流。2人は246を辿り、青山・表参道を過ぎて渋谷駅の東エリアへ。ここで再び、246と矢倉沢往還が分かれる重要なポイントが。

(道マニア・荻窪圭さん)
「道が二手に分かれている。右側(宮益坂)が矢倉沢往還。渋谷の辺りは古くからお店ができて、道幅を広げるのが大変だったので、土地を買収して大きな道路を通しやすかった方が国道になったと思う」
道玄坂を上りきったところで、矢倉沢往還は再び246と合流します。2人は目黒川を渡り、世田谷区池尻へ。

(道マニア・荻窪圭さん)
「実は目黒川の上流には『北沢川』と『烏山川』という2つの川が流れていて、それらの川が一緒になって名前が目黒川に変わる。ここは2つの川が合流して池の水が目黒川に出ていくところだから、『池尻』と呼ばれるようになったと言われている」
この近くには、明治30年に兵士の強化や首都防衛のための「駒沢練兵場」が設置され、「街道沿いに兵隊やその家族相手の商店や旅館が軒を連ねるようになった」と地元の方は言います。
宿場町だった世田谷エリア 「ボロ市通り」から多摩川へ

西へまっすぐ進んでいた2人は、世田谷駅前の交差点を曲がって南へ。
(道マニア・荻窪圭さん)
「ここは、室町時代の後半に宿場町として整備された。『矢倉沢往還』を直角に曲げることで、建物の数を増やせるし、人をとどめることもできる」
直角に曲がる「矢倉沢往還」を南下し、交差点「世田谷中央病院」を右折して「ボロ市通り」を進みます。

(道マニア・荻窪圭さん)
「戦国時代にここで月に何度か市場を開いて、みんな自由に物を売っていいことになった。江戸時代になってボロボロの服をみんなが売るようになり、この通りは『ボロ市通り』と名付けられた。みんなが『ボロ市』と言うようになって、愛称として定着した」
ボロ市通りを抜けると…
(道マニア・荻窪圭さん)
「ここは世田谷通りと交わる交差点。でも、矢倉沢往還は世田谷通りと合流しないで、別の道として存在している。矢倉沢往還が曲がっているところを新しい道が貫いたので、三角の土地ができた」
古道と新しい道路が入り乱れており、付近には三角の土地がいくつか存在します。地元の方によると、1964年の東京オリンピックに合わせて「世田谷通り」の建設が始まり、原っぱだった場所に新しい道ができたとのこと。
さらに進み、2人は東京と神奈川の境目・多摩川の近くへ。

(道マニア・荻窪圭さん)
「多摩川が氾濫してよく水害が起きていたので、大正時代から昭和初期ぐらいにここに堤防が造られた。その堤防が、昔のまま残っている。川に近いところに、新たに今の堤防が造られた。橋がない時代、この川を船で渡り、足柄山を越えて静岡県の沼津まで繋がっていた」
CBCテレビ「道との遭遇」2025年6月17日(火)午後11時56分放送より
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