飛騨川の右岸に眠る“正体不明の道”を調査!2つの素掘り隧道も出現…謎だらけの廃道の秘密とは
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国800か所以上の道を巡ってきた道マニア歴20年の石井あつこさんが、岐阜県にある“廃道”を巡り、歴史を紐解きます。※廃道は危険ですので、むやみに立ち入らないでください。
廃道に2つの素掘り隧道 飛騨川の右岸に眠るかつての里道
石井さんと一緒に旅をするのは、ものまね芸人・たむたむさん。訪れたのは、岐阜県七宗町(ひちそうちょう)の渓谷「飛水峡(ひすいきょう)」。昭和28年に命名された景勝地で、七宗町上麻生から白川町まで12キロの断崖が続きます。
(道マニア・石井あつこさん)
「飛騨川の右岸沿いにある“とある廃道”を訪ねたい。由来とか分からない謎があるので、その謎を解明したい」
石井さんが言う“とある廃道”は、明治44年の地形図に徒歩道として点線で記されていますが、それ以前の地形図は存在しておらず、いつどんな目的で道が造られたのか不明なため調査したいとのこと。
2人は目的の廃道を目指し、国道41号の「七宗第四トンネル」手前から旧道へ。飛山橋を渡って飛騨川の右岸側に向かいます。
古くは「柿ヶ野(かきがの)」と呼ばれた集落に辿り着くと、道の脇に目的の廃道の入口が。階段を降りたすぐの場所には、明治時代からある小さな神社が佇みます。廃道は人や馬が通れるほどの道幅で、道中には当時のままと思われる立派な石垣も。
明治14年の文献「濃飛両国町村略誌」に、この道は「白川里道」と書かれているのを発見した石井さん。明治9年、道路はその重要度によって、国道・県道・里道の3種類に分けられます。そして大正8年、旧道路法施行により、里道の中でも重要な道は市町村道として認定されました。
(道マニア・石井あつこさん)
「この道の先に、トンネルがある。人が通るトンネルを掘るほど、何か重要な目的があったのではないかと深読みしてしまって」
石積みが施され、道幅も十分確保されているこの道が、“里道”として分類されたことに石井さんは違和感があるそう。そう話しながらさらに進むと、現れたのは名称不明の素掘りの隧道。どの時代の地形図を見ても隧道記号はなく、いつ掘られたのか不明だそう。
隧道を出た先には、もう1つ素掘りの隧道が出現。その先は、現在バイパス工事で通れなくなっているため、探索はここで終了です。
時代とともに右岸から左岸へ移り変わった「白川街道」
地元の方によると、廃道に眠る2つの隧道は明治時代に造られたもので、地区の名前を取って「柿ヶ野第1隧道」「柿ヶ野第2隧道」と呼んでいるそう。
文献に「里道」と書かれていたこの道は、“番所”へ住民が農作物を納めるために利用するなど、地域の暮らしには欠かせない道だったと言います。
また、かつてこの地区に住む人達は、岐阜や名古屋の往来に山越えをして船を利用していました。この不便さを解消するため、明治28年に飛騨川の左岸に「白川街道」を造り、往来しやすくなったと文献には書かれています。
最初に左岸ではなく右岸に道を造ったのは、日当たりが良く、雪が積もっても太陽の光で解けて通行が妨げられないようにするためなのだそう。その後、馬車の普及により道幅が狭くなり、明治28年に白川街道を左岸に新設。その道が開通するまで、右岸の道を白川街道と呼んでいたのだとか。
文献にこの道が“里道”と書かれていたのは、かつて山越えの道を白川街道と呼んでいた時に、別の道であることを区別するため、あえて里道と表記したのではないかと石井さんは考察します。
CBCテレビ「道との遭遇」2025年1月21日(火)午後11時56分放送より