愛知・名古屋の暗渠道から歴史を紐解く!田んぼから工業地帯、商業施設へと変貌を遂げたバンテリンドーム周辺の暗渠道を巡る旅
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道をご紹介。今回は愛知県名古屋市にある、川が流れていた場所の上にできた“暗渠道(あんきょみち)”を巡りました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)
昭和中期に暗渠化した「大幸川」の暗渠道
東区の大曽根周辺にはかつて庄内川や矢田川の支流が多く存在し、今では暗渠になっているという道マニア。「河川の氾濫地や自然堤防が形成された場所のことを『曽根』と言う。大曽根辺りは、川とゆかりの深い土地」と言います。
バス専用の高架「ゆとりーとライン」の真下を走る幹線道路は、「大幸川(だいこうがわ)」の暗渠道。周辺には田んぼが広がり、水を供給する農業用水の役割もあったそう。昭和初期に下流が、昭和40年代に上流が暗渠となりました。
1997年にバンテリンドームナゴヤ(以下、ドーム)が建設される前、大きな工業地帯だったこのエリア。街に都市化が求められた際、工場の多い上流より下流の区画整理が優先されることに。その結果、早くに暗渠化した下流に比べ、上流では川の姿を長く見られたようです。
地域の方によると、大幸川はすぐ近くを流れる「香流川(かなれがわ)」を水源とし、大曽根を通って堀川まで流れていたとのこと。香流川付近に流れる矢田川や庄内川は水量が多く、その氾濫によって大曽根は度々浸水の被害を受けたと言います。
また、ドーム周辺は北を大きな河川に、南を丘に囲まれた平地で、矢田川から染み出した伏流水が豊富なエリア。そのため、平地から湧き出した水が水路となり、大曽根にはそのような川筋がいくつも存在していたそうです。
街が大きく変貌し、暗渠道となった「西道川」
ドームの敷地に沿って南側には、かつて「西道川」が流れていました。暗渠化され、現在は車道に。地下には上水道が流れています。
戦時中、軍需工場が多く存在していた大曽根は米軍の標的となり、何度も空襲を受けました。戦後も工業地帯として発展した大曽根ですが、地域の商業施設への転換が進み、工場は閉鎖。
90年代以降は工場跡地を利用した大規模施設の設置が相次ぎ、街の姿が大きく変貌を遂げることに。ドームへの建て替えに伴い、工場の敷地や周辺の川も道路として生まれ変わりました。
西道川は茶屋ヶ池からかつて弁天公園にあった池へと通じる地下水路があり、ドームの南側を抜け、北の大幸川などへ通じていたそう。膝が浸かるくらい浅く、たくさんの子どもが魚獲りをしていた綺麗な川は、昭和40年前後の区画整理で暗渠になったとのこと。
弁天公園にあった弁財天は、天文7年(1538年)創建の「永弘院(ようこういん)」に移設されています。
2025年1月14日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より