民家の隣が切通し!?かつて“天然の要塞”と言われた鎌倉の住宅地に残る「高野の切通し」とは
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国100万キロ以上の道を巡ってきた道マニア歴26年の鹿取茂雄さんが、神奈川県にある“鎌倉の歴史に繋がる道”を巡ります。
住宅地に残る「高野の切通し」
海と山に囲まれ、かつては天然の要塞と言われた鎌倉。そこには、今も生活道路として使われる“切通し”や“隧道”が数多く残っています。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「鎌倉は、海と山に囲まれているから敵が攻めにくい。その代わり、人や物が行き来するのが不便なので、山を切り開いて通した道“切通し”や“隧道"”を造って工夫していた。今日はそういった道を中心に巡りたい」
鹿取さんは、神奈川県を中心にアイドル活動をしている高校生のNanane(ななね)さんを旅のお供に、鎌倉の歴史に繋がる道を巡ります。
まずは、鎌倉に来たら鹿取さんが最初に見てほしいとオススメする道へ。2人が訪れたのは、鎌倉市内の住宅街。民家の脇にある細い道を進むと、突然“切通し”が出現!
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「通称『高野(たかの)の切通し』。地元の人が、生活の道として今も使っているのが魅力的」
鎌倉と周辺地域を結ぶ当時の主要道路「鎌倉七口(ななくち)」には含まれていないこの「高野の切通し」は、高野公園付近に存在。かなり深い切通しで、まるで現代からタイムスリップしたかのように、住宅街の舗装された道から高い土壁に挟まれた古道へと変わります。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「道が狭い方が、敵が攻め込みにくい。切通ししか道がないと、鎌倉幕府にとって道は狭い方が守りやすい」
さらに、敵の侵入の勢いを弱めるため、あえて道を蛇行させて造ったとも言われています。民家から突然切り替わった「高野の切通し」は、進み続けると再び民家のある舗装された道に繋がります。
個人が造った隧道!?赤い門が付いた不思議な隧道
続いて訪れたのは、北鎌倉駅のすぐ近く。鹿取さんが4か月前に発見し、気になっていたという隧道へ向かいます。北鎌倉駅から線路に沿って北上すると、赤い門が付いた不思議な隧道が出現!
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「周りとのギャップがあって、ここだけ不思議な空間が広がっている」
門には「好々洞」や「料理」の文字が書かれており、まるで中華料理店のような門構えをしています。
隧道の中に入ってみると、壁面にはゴツゴツとした手掘りの跡がぎっしり。途中の壁面にはコンクリートブロックで塞がれた跡が2つあり、隙間から中を覗くとどちらも奥に空間が見られます。
近くに住む方の話によると、この地域にかつて広大な敷地と別荘を持っていた所有者が昭和12年に手掘りで隧道を造ったとのこと。
その後、別荘を料亭「好々亭(こうこうてい)」に造り替えて開業する際、奥にお店があることを知らせるために中国風のデザインの門を付けて目立たせたと言います。
また、隧道内の塞がれた2か所の穴は、戦時中に防空壕として使うために掘られ、その先には高いところを狙うための高射砲が置かれていたそう。
かつて賑わいを見せた「好々亭」は、平成19年に閉業。建物は無くなり、跡地には藪が生い茂っていますが、隧道は公道として残され、地元民が北鎌倉駅に行くための便利な道として使われています。
7月23日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より