横浜市のバスの終点にある行き止まりのトンネルの謎 行き場がないのにトンネルが造られたワケとは
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道をご紹介。今回は、神奈川県横浜市のトンネルがあるのに行き止まりになっている謎の道に迫りました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)
抜けた先は行き止まり!?バスルートの終点にある謎のトンネル
神奈川県横浜市金沢区にある海沿いの街「柴町」。シーサイドライン「海の公園柴口駅」の北側に京急バスが通るルートの終点があり、そのバス停のすぐ隣にはトンネルがあります。
そのトンネルの全長は約200m。トンネルの壁面には鉄板が打ち付けられた立派な造りをしており、幅も高さもあります。しかし、扁額や竣工年が書かれた銘板がなく、トンネルの名前も分かりません。
トンネルの先にあるのは、3軒の家。しかし、道はフェンスで封鎖され行き止まりに。トンネルを抜けても行き場がなく、現在は回送になったバスが転回する空間として利用されているようです。
フェンスの先には、かつて使われていたと思われる舗装された道が2本存在。どちらも草木が生い茂り、古びた路面だけが見えます。
右側の道の手前には、「ここからは市民農園には入れません」と書かれた看板が。そして左側の道の手前には、立入禁止の看板やタバコ厳禁の標識がいくつもあり、物々しい雰囲気が漂います。
トンネルは何のために造られた?廃道化したワケとは
地元の方の話によると、かつてこの場所には「小柴貯油施設」という戦争で使う燃料を保管する広大な基地があり、昭和14年に日本の海軍が燃料貯蔵施設に繋げるため、トンネルを建設したそう。
しかし、敗戦後の昭和23年、米軍が施設を取り上げ基地として利用。平成17年に返還され、現在はその場所を公園にするために整備が進められているとのこと。
道マニアは、「軍事目的のトンネルであれば、米軍に場所を知られないよう秘匿するために名前をつけなかった可能性がある」と考察します。
物々しい雰囲気が漂う左側の道には守衛所もあったようで、当時は米軍が出入りしていたそう。右側の道は平成10年、近くにある市民農園へ行くために造られましたが、現在は倒木などの影響で封鎖しているそうです。
7月2日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より