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ドラゴンズ岩嵜翔投手1413日ぶり涙の白星 復活劇の裏にあった“愛娘との約束”

ドラゴンズ岩嵜翔投手1413日ぶり涙の白星 復活劇の裏にあった“愛娘との約束”
「サンデードラゴンズ」より岩嵜翔投手(C)CBCテレビ

【ドラゴンズを愛して半世紀!竹内茂喜の『野球のドテ煮』】CBCテレビ「サンデードラゴンズ」(毎週日曜日12時54分から東海エリアで生放送)

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突然の訃報

「サンデードラゴンズ」よりトニ・ブランコ選手(C)CBCテレビ

それは耳を疑う報せだった。落合ドラゴンズ時代、球団初となる連覇の立役者として大活躍をみせたトニ・ブランコさんが4月8日(日本時間9日)、故郷のドミニカ共和国で屋根の崩落事故に巻き込まれて死亡。突然の訃報に多くのドラゴンズファンは彼の死を悼んだ。

「サンデードラゴンズ」よりトニ・ブランコ選手初打席(C)CBCテレビ

ブランコさんのデビューは鮮烈そのものだった。2009年4月3日の横浜ベイスターズとの開幕戦(当時ナゴヤドーム)。初打席で現ベイスターズ監督の三浦大輔投手からバックスクリーンに飛び込むソロホームランを放ち、初打席初ホームランを記録。そして同年5月7日、カープ戦で前田健太投手(現デトロイト・タイガース)からナゴヤドームの高さ50mの位置にある天井スピーカーに直撃する推定飛距離160mの大飛球を放ち、ナゴヤドーム初の「認定ホームラン」を記録したのは忘れることができない。

当たればどこまでも飛んでいくボール。反対に季節外れの扇風機のようにバットを振り回しては、三振の山を積み重ねる。大味なバッターではあったものの破壊力満点なスラッガー。まさに今のドラゴンズが最も欲する“4番バッター”だったブランコさん。ドラゴンズの黄金期を支えた大砲の44歳という若さでの“突然の死”に元同僚は皆、悲痛に暮れた。

「サンデードラゴンズ」より小田幸平コーチ(C)CBCテレビ

当時クリーンナップを共に担った森野将彦一軍打撃・作戦コーチは「本当に残念。驚きで言葉にならない」と話し、引退後も連絡を取り合う仲だった小田幸平二軍バッテリーコーチは「嘘だと信じたかったですけど」と、言葉少なにコメントを寄せた。そしてブランコさんを16歳から知る同郷でもあるルイス・フランシス通訳は「亡くなったと聞き、ショックだった」と涙ながらに語った。

ただブランコさんは今でもファンの心の中では生き続けていると信じている。だからこそ大島洋平選手が“バッティング練習でお金が取れる選手”と評した彼のパワフルなバッティングを後世のドラゴンズファンにも伝えていきたいと思う。それがささやかではあるが天国への餞別であり、4年間の感謝の意となろう。

トニ・ブランコ、ドラゴンズ在籍での通算成績は452試合、427安打、111ホームラン、309打点、467三振、打率.262。ホームラン王1回、打点王1回、ベストナイン2回。焼肉をこよなく愛したホームランアーティスト。天国でもどでかい一発を放っておくれ!

「サンデードラゴンズ」より岩嵜翔投手(C)CBCテレビ

さて今週のサンドラは、4月1日のジャイアンツ戦で見事なリリーフを見せ、移籍後初勝利を挙げた岩嵜翔投手の特集。右ひじの手術以降、長いリハビリを経てようやく手にした白星。勝利インタビューのお立ち台で流した涙に隠された秘話を明かす。

腹立たしさを感じ続けた4年間

1413日ぶりの勝利。それはとてつもなく長い道のりだった。勝利者インタビューではリハビリに費やした“4年間の思い”があふれ出た。

岩嵜投手「4年前にドラゴンズに来て、本当に何もできていないので嬉しく思います」

「サンデードラゴンズ」より岩嵜翔投手(C)CBCテレビ

2022年、又吉克樹投手FA移籍による人的補償でホークスから加入した岩嵜投手。常勝ホークスの一員として2017年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。経験豊富な右腕には多くの期待が寄せられた。

しかし移籍後初登板となった2022年3月26日、東京ドームで行われたジャイアンツ戦で悲劇が訪れる。右ひじに違和感を覚え緊急降板。勝ちパターンとして期待していたチームは開幕早々いきなり軌道修正を余儀なくされた。岩嵜本人も期待に応えることができない自分に腹立たしさを感じずにはいられなかった。当時の思いをこう語る。

岩嵜投手「期待して獲って頂いたのを分かっていたので、監督、チーム、そしてファンの皆さんにも申し訳なさが一番最初にきました」

支えになった“家族の存在”

その年のオフ、復帰まで1年以上を要すると言われる「トミー・ジョン手術」を決断。球団は育成契約を打診し、背番号は三桁の「203番」へと変わった。先の見えないリハビリの日々。支えになったのは家族の存在だった。

「サンデードラゴンズ」より岩嵜翔投手(C)CBCテレビ

岩嵜投手「家族の存在は大きかったですね。多くのことを妻がやってくれましたし、子供も子供なりに気を使いながらじゃないですけどやってくれていたので。そんな思いに応えたい一心でした」

家族の思いを胸に、長くつらいリハビリを乗り越えた岩嵜投手。2024年6月、待望となる支配下に復帰。背中の番号も2年前に着けていた“16”を取り戻した。そして迎えた2025年シーズン。退路を断つ思いでスプリングキャンプに挑んだ。

オープン戦では5試合に登板し、無失点。開幕一軍を掴み取ると、初登板はしびれる場面でやって来た。地元バンテリンドーム開幕戦となる4月1日のジャイアンツ戦。スコアは1-1。同店の7回表。どうしても勝ち越し点を与えたくない場面で名前は告げられた。本拠地初勝利をかけた試合。絶対に抑えてやるという強い気持ちで腕を振り続けた。

愛する娘たちとの約束

「サンデードラゴンズ」より岩嵜翔投手(C)CBCテレビ

結果は1イニング23球を投じ、被安打2ながらも無失点に抑える結果を残すと、その裏木下拓哉捕手のスクイズで勝ち越し点をもぎ取り、そのまま逃げ切り勝ち。岩嵜投手に移籍後初の白星が転がり込んだ。そして帰宅後、勝利の喜びを家族に伝えた。

岩嵜投手「夜遅かったので子供たちは寝ていたんですけど、妻から“おめでとう!良かったね”と。次の日子供にあった時は“なんかパパ1つ勝ったみたいだね”と話してくれたので、喜んでくれて嬉しかったです」

実は愛する娘さんと交わしていた約束があった。それはお立ち台に呼ばれた時にもらえるドアラのぬいぐるみをプレゼントすること。ようやくその約束が叶えられ、二人のお子さんは大喜び。上の娘さんはもらったその日からぬいぐるみと一緒に寝ていたそうだ。できればもうひとつ。いや何回もお立ち台に立って、岩嵜家の一部屋をドアラのぬいぐるみでいっぱいになるぐらいの活躍をみせてもらいたいと願うばかりだ。

若いピッチャーが多い中、経験豊富な岩嵜投手はリリーフ陣の精神的支柱な存在。一年間一軍に定着することがドラゴンズ飛躍のきっかけにつながることは間違いない。是非とも勝ちパターンで投げる姿を見続けていきたい。これまで復活を待ち続けたファンのためにも。

がんばれ岩嵜翔!
がんばれドラゴンズ!
燃えよドラゴンズ!

竹内 茂喜

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