「あと1本が出ない」嘆くドラゴンズファンが愛した勝負強い伝説の打者たち
中日ドラゴンズファンのイラ立ちと悲鳴が聞こえてくるようだ。
「あと1本が出ればなあ」「あと1本がなぜ打てないんだ」・・・竜党である私自身が度々そう思っているのだから。
勝てる試合を落としている
2019年プロ野球のペナントレースも日程の3割が過ぎた。つい先日シーズンが開幕したと思っていたが早いものである。
新生・与田ドラゴンズ、「しっかりした野球ができているのでは?」という感想は以前に当コラムに書いたが、同時に実に惜しい試合が多い。勝てる試合を落とす。昨シーズンは38試合もの逆転負けで嫌というほど悔しい思いをさせられたが、今季は接戦も多くがんばっているだけに、それだけ「あと1本」への思いは強い。
「あと1本」に切歯扼腕
広島県三次市で5月21日に行われた広島東洋カープとのゲームも、まさに「あと1本」が出なかった。3点リードされての9回表の攻撃、1点差に迫りながら追いつけなかった。
最後は二死満塁で代打の松井雅人選手が3塁ゴロに倒れて万事休したが、その前の京田陽太選手にも「あと1本」が当てはまる。
このところ球場で観戦していても、勝ったゲームであれ、負けたゲームであれ、度々胸にこみ上げるのが「あと1本」という言葉である。
菊池の凄さ・井端の粘り
あと1本が打てる選手は誰か?
相手チームだが真っ先にカープの菊池涼介選手が浮かぶ。このゲームでも5回、こちらも同じ二死満塁にファウルで粘った末、大野雄大投手の球を三遊間に打ち返すタイムリー。敵ながら脱帽した。
少し前のドラゴンズならば「あと1本」が打てたのは井端弘和選手だろう。ファウルで粘り「1本」を打つか、四球で塁に出るか。頼りになる勝負強さだった。
竜の歴史に輝く勝負強い打者
83年の球団史をひも解くならば、「ミスター・ドラゴンズ」と呼ばれる3人だろう。
西沢道夫、高木守道そして立浪和義、この3選手は「あと1本」が打てる打者だった。
特に背番号「1」を背負って、1970年代を中心にリードオフマンとして活躍した高木選手は、ここという場面で必ず打った印象がある。
讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止して20年ぶりのリーグ優勝を果たした1974年(昭和49年)、胴上げしたゲーム以上にファンの間で語り継がれるのは、その前夜、神宮球場でのヤクルトスワローズ戦である。1点リードされての9回表二死3塁で、高木選手はレフト前にタイムリーを打ち同点とした。結果は同点でもマジックは1つ減って翌日の優勝決定に結びつくのだが、あのゲームを負けていたら優勝常連のジャイアンツにペナントをさらわれていたかもしれない。それだけ価値のある「あと1本」だった。
「ここ一番」で打つのは誰?
この3選手の他では“三冠男”落合博満選手だろう。平成最初の年だった1989年8月、9回一死までノーヒットノーランの好投だったジャイアンツの斎藤雅樹投手を奈落の底に突き落とした逆転サヨナラ3ランは、「あと1本」の主旨からは外れるかもしれないが、スラッガーの勝負強さをまざまざと見せつけた打撃だった。
この4選手に共通しているのは、ゲームの大勢に影響ない時にホームランを打ったりタイムリーを打ったりするのではなく、ここ一番で打てたことだろう。
今シーズンのドラゴンズは開幕から打撃陣が好調である。しかし「あと1本」を打てる勝負強い打者は誰?
うらやましい強打者
ドラゴンズがカープに敗れた同じ日、沖縄県那覇市で行われた福岡ソフトバンクホークスと埼玉西武ライオンズとのゲームで、地元の沖縄出身、ライオンズ山川穂高選手が素晴らしいホームランを放ち、故郷に錦を飾った。それも1点差に迫られた直後の3ランだった。43試合目で20号、打点はトップ独走の50。スラッガーとして開花し成長を続けている上、勝負どころで打つことができる。
出でよ!竜のスラッガー。そして、ここという場面で「あと1本」を打ってくれ!
【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。