阿部そして京田トレード!大量選手が竜ユニホームを脱ぐ“立浪革命”の本気度
驚きの1週間だった。多くのドラゴンズファンもきっと同じ思いだと推察する。火曜日に阿部寿樹選手のトレード、そして3日後の金曜日に京田陽太選手のトレードが発表された。2022年3月25日、東京ドームでの開幕ゲーム、スタメンで二遊間を守った2人が、わずか4日の間に、中日ドラゴンズに別れを告げることになった。
今季大活躍の阿部が去る
阿部寿樹選手は、シーズンに入る前はレギュラーポジションが決まっていなかった。しかし、セカンドに入る構想だった高橋周平選手のけがによって、立浪ドラゴンズの開幕セカンドに選ばれた。そこからの活躍はめざましいものだった。本拠地バンテリンドームでの初勝利になった4月1日の広島東洋カープ戦。大野雄大投手と大瀬良大地投手の“エース対決”の中、8回裏に阿部選手が打ったセンター前への逆転タイムリーは見事だった。このゲームだけでなく、今季の阿部選手は「ここ」という場面で、勝負強い打撃を度々見せてくれた。ダヤン・ビシエド選手に代わって「4番」に座ったこともあった。133試合に出場して、自己最多の131本のヒットを打った。内野手に限定すれば、最も活躍した選手だった。それだけに、東北楽天ゴールデンイーグルスへのトレードには、あっと驚かされた。
選手会長の京田も去る
その阿部選手が放出されたことで、京田陽太選手は残留かとも思われた。スーパーサブ的に内野で活躍した三ツ俣大樹選手が戦力外になっていたこともあって、これ以上の内野手の入れ替えはないものと、ファンとして勝手に思っていたのだが・・・。京田選手は横浜DeNAベイスターズへの移籍が決まった。かつての新人王、そして選手会長が竜を去る。思えば、京田選手にとっても、竜党にとっても、忘れられないのは、5月4日のベイスターズ戦での“強制送還”。2塁ベース近くのゴロをアウトにできなかった京田選手は直後に交代を命じられて、試合中にもかかわらず球場を後にして名古屋に帰った。その後、1軍に復帰したが、京田選手が輝きを取り戻すことはなかった。その因縁の横浜スタジアムが、今度は京田選手のホームグラウンドになる。
星野監督による“血の入れ替え”
思い出すのは、故・星野仙一監督による積極的な選手の入れ替えである。1987年(昭和62年)からと、1996年(平成8年)からと、2期11年にわたってドラゴンズの指揮官だった星野さんは、果敢にトレードをしてチームを活性化させた。就任早々にリリーフエースだった牛島和彦投手や内野レギュラーだった上川誠二選手ら4人と交換で、三冠王・落合博満選手を獲得したことを始まりとして、翌年には人気選手だった大島康徳選手さらに平野謙選手、その翌年には中尾孝義捕手をトレードで移籍させた。ホームラン王だった大豊泰昭選手もチームを去った。いずれもファンにとっては驚かされたが、同時にドラゴンズというチームが変わるためには必要なことなのだと、納得もした。
立浪監督の決意の先には?
阿部選手そして京田選手という主力2人のトレード。しかし、その前には、平田良介選手の戦力外通告もあった。現役引退の福留孝介選手、契約更新ならず退団のアリエル・マルティネス選手も含めると、これで16人の選手が、ドラゴンズブルーのユニホームを脱ぐことになった(2022年11月21日現在)。星野監督によってドラゴンズに入団し、その下でプロ野球人生をスタートした立浪監督の中に、かつての恩師による何らかの教えがあるか否かは分からない。しかし、星野監督が1年ずつやってきた改革の歯車を、このオフだけで一気に進めた印象がある。それは何より危機感だろう。ドラゴンズは6年ぶりに最下位となった。その順位以上に、1年間チームを率いた立浪監督の中には、大いなる危機感があると見る。12月には新しく導入される制度「現役ドラフト」が実施され、少なくともさらに選手の入れ替えがある。
「解体的な出直しを!」と、数年前から当コラムでも訴えてきたが、いざ実際に目の前で起きている変革には、驚きを禁じ得ない。結果がうまく行けば、選手の大量入れ替えは成功、逆ならば失敗と言われる。それがプロ野球である。その責を負う覚悟は、立浪監督には十分にあるはずだ。長く低迷するドラゴンズが“常勝球団”へと蘇るために必要なことだと信じて、“立浪改革”いや改革を越える“立浪革命”を見守りたい。
【東西南北論説風(389) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。