名古屋めしの名脇役「朱色かまぼこ」はなぜ赤い?~大竹敏之のシン・名古屋めし
朱色のかまぼこは名古屋・東海限定(!)

きしめんや味噌煮込みうどんの具に欠かせないかまぼこ。名古屋ではふちの赤い「朱色かまぼこ」と呼ばれるものがよく使われます。“全部茶色い”と称されとかく色合いが地味な名古屋めしに華やかさを添える名脇役ともいえる存在です。
この朱色かまぼこ、名古屋特有のものなのだとか。
「名古屋をはじめとする東海3県以外では、紅白のかまぼこの“紅”にあたるのはほとんどがピンクです。鮮やかな朱色のかまぼこは名古屋以外ではほとんどないと思います」というのは1860(万延元)年創業の大矢蒲鉾商店(名古屋市熱田区)6代目の大矢晃敬さん。そのため朱色かまぼこは「名古屋かまぼこ」とも呼ばれるそう。
ではなぜ、名古屋のかまぼこだけが朱色になったのでしょうか? 大矢さんが挙げてくれたのは次の3つの説です。
【熱田神宮の社殿にちなむ説】
熱田神宮は明治以前、尾張造りと呼ばれる朱色の建物だった。朱色は邪気を払うとされる。江戸時代以降、名古屋のかまぼこ店の多くは熱田にあったため、かまぼこも熱田神宮にあやかって朱色になった
【織田信長好み説】
織田信長は熱田神宮信仰があつかったこともあり、朱色もお気に入りで、甲冑や刀のさやなどの武具にも取り入れた。当時高級品だったかまぼこは献上品にもされ、信長好みの朱色が使われた
【名古屋人の派手好き説】
名古屋人は金色を好むといわれるように元来派手好き。その気質から、見た目が映える朱色のかまぼこが好まれた
他の地域では朱色かまぼこが作られない理由についても、大矢さんは次のように推察します。
【家康がご法度にした説】
日本における紅白は源平合戦が由来とされ、平氏は赤い旗、源氏は白い旗を掲げて敵味方を区別した。平氏の流れを汲む信長は赤、源氏の流れを汲む家康は白い旗を掲げた。家康は天下を獲った後、信長色を排除するために赤いかまぼこを禁じたが、信長への崇敬が強かった尾張を中心とする地域だけはこれが残った
以上の説は、あくまで諸説のひとつですが、朱色かまぼこは名古屋の歴史・伝統を背景に生まれて作り続けられてきた可能性が高いといえそうです。だとすれば古くから親しまれている名古屋めしにますます不可欠なものという気がしてきます。
伝統の味を守り続ける名古屋唯一のかまぼこ店

名古屋市熱田区は、かつて熱田港があり、漁港としてにぎわった町。信長は毎日ここから清洲まで新鮮な魚介を届けさせていたと伝えられます。水揚げされる魚介を使ったかまぼこも盛んに作られ、当時は名古屋のかまぼこ店の7割は熱田に集中していたのだとか。しかし、現在まで残る熱田のかまぼこ店は先の大矢蒲鉾商店1軒だけとなっています。
「伝統あるかまぼこの魅力を守りたいと、魚の持ち味を生かして保存料を一切使わずに作っています」と大矢さん。食してみるとぷりっと弾力があり、余計なものがないシンプルできれいな味わいを楽しめます。ちなみに特徴である朱色は、着色料を使っていますが、味には影響はなく、また健康への影響もないといいます。
「名古屋市内の10軒以上のうどん屋さんが朱色かまぼこを使ってくれています。色が映えるので、最近はお正月のおせちに使ってくれる仕出し屋さんなども増えています」と大矢さん。名古屋人も気づかないうちに目にして食しているかもしれない名古屋独自の朱色かまぼこ。その色と味わいに注目すると、名古屋めしのイメージやおいしさもちょっと違って感じられるかもしれません。
※記事内容は配信時点の情報です
#名古屋めしデララバ
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