鵜匠の“推し活”!?1300年続く岐阜県・岐阜市の「ぎふ長良川鵜飼」伝統を守る新しい取り組みや鵜匠一家に密着
岐阜県・岐阜市の長良川で行われる「ぎふ長良川鵜飼」は、1300年の歴史を持つ伝統。その伝統を父から息子へつなぐ親子に密着しました。また、新たな活動もあるとのこと。タレントの寺坂頼我くん(以下、寺坂くん)が取材しました。
鵜匠はたった6人!世襲で継承される由緒正しい肩書
1300年続く鵜で鮎を捕る「ぎふ長良川鵜飼」。「中秋の名月」と川の増水時以外の毎年5月11日~10月15日まで、約150日連続で毎晩行われている伝統行事です。
鵜を操る職人「鵜匠」は6人のみ。この地の鵜匠は『宮内庁式部職』という格式高い肩書を持ち、男子だけの世襲制で受け継がれています。鵜匠・山下哲司さん宅を訪ねると、実際に使っている伝統衣装と鵜を見せてくれました。
(鵜匠・山下哲司さん)
「これは風折烏帽子(かざおりえぼし)。われわれは篝火(かがりび)のもとで活動。火の粉が飛んでくる、頭の保護をする。ところどころに穴、火の粉で燃えた!」
1時間で60匹もの魚を捕るという、鵜も見せてもらいました。鵜飼漁は、逃げるときに喉にためた魚を吐き出す“鵜の習性”を利用。鵜匠と鵜は生活を共にする、切っても切れない関係です。
毎朝6時に始業!次期鵜匠として修業中の長男
哲司さんにとって大事な存在なのが、跡継ぎの息子・山下雄司さんです。
(鵜匠の修行中・山下雄司さん)
「(鵜は)全部で21羽。鵜を触ること全般は父に任せてもらっている」
雄司さんは大学を卒業してから、次期鵜匠として修業中の27歳。毎朝6時に鵜の世話を始め、漁のないシーズンは「鵜舟(うぶね)」の準備や、篝火に使う「松割木」の仕込みなど、年中鵜に関する仕事をしています。中には怪我をした鵜もいますが、家族として迎え入れた以上は最後まで面倒を見るべきだと考えているのです。
雄司さんは、山下家の5人目の子どもであり長男。待望の後継ぎとして育ちました。
(鵜匠・山下哲司さん)
「伝統は、続けることに意味がある。『立派な鵜匠になれ』ではなく、『ずっとこれからも続ける』という心構えでやってほしい」
鵜匠がトレーディングカードに!?新しい取り組みがスタート
2024年から漁期間の毎週土曜日は、川沿いで「長良川夜市」が開催中。グルメや雑貨など、地元を盛り上げる様々な店が並びます。屋台の一角には、変わったものを売る店もあり、鵜匠のプロフィールが載った「鵜飼カード」を販売していました。
夕方に差し掛かる頃に伺うと、漁の準備が着々と進んでいました。出発の約1時間前には、船を動かすために鵜匠が雇う「船頭」も合流。みんなで“同じ釜の飯”を食べて心を一つにするのが習わしです。
漁の出発地点は「まわし場」と呼ばれ、6つの鵜匠家全ての鵜飼チームが日没を待つ、神聖な場所です。夕闇に包まれる時間になると篝火を灯し、いよいよ漁が始まります。漁が始まった後、修行中の雄司さんはどうするのかというと…。
(鵜匠の修行中・山下雄司さん)
「僕は見て勉強。父の手縄さばき、どのタイミングで(篝火に)松をくべるか。慣れないとできないことが多い。冷静に判断、スゴい!」
修行を積み鵜の世話は完璧でも、漁で鵜を扱えるのは鵜匠の特権。雄司さんは、将来のために父の動きを見て勉強しているのです。
1300年の伝統に感動!父の背中を見て学ぶ息子の想い
午後7時45分、花火の合図とともに鵜飼漁がスタート。哲司さんは、8羽の鵜それぞれに結ばれた縄が絡まないようにさばいたり、魚が取れたら瞬時に鵜舟に揚げたりと、タイミングを見極めて鵜を片手で操りながら、素早く篝火の炎を調整します。
漁のフィナーレ「総がらみ」は、全ての鵜舟が一体となって、鮎を追い込みました。漁を終えた哲司さんは…。
(鵜匠・山下哲司さん)
「あの光(篝火)は、織田信長も徳川家康も見た。変わっていない。『あー!』という思いをしてもらえたら、ありがたい」
雄司さんにも、今後の鵜飼としての人生をどう考えているか尋ねました。
(鵜匠の修行中・山下雄司さん)
「小さい頃から鵜匠として、僕たち子どもを育ててくれた。僕が鵜匠になって、安心感を父と母に返したい」
家族愛でつなぐ伝統。雄司さんもきっと近い将来、立派な鵜匠になることでしょう。
CBCテレビ「チャント!」7月3日放送より