熱き心を持った頭脳派投手・落合英二~ドラゴンズ立浪新政権コーチ列伝(1)

熱き心を持った頭脳派投手・落合英二~ドラゴンズ立浪新政権コーチ列伝(1)

立浪ドラゴンズの秋季キャンプが始まった。11年ぶりペナント奪還へ、3代目「ミスター・ドラゴンズ」立浪和義新監督が選んだ指導者たち、現役時代にも竜を支えた魅力的な顔ぶれが揃った。そんなコーチたちの横顔を、ファンから見た思い出を中心に紹介する。第1回は、ヘッド兼1軍投手コーチを担当する落合英二さん。

立浪と共に落合英二が帰る

いつの頃からか、ドラゴンズファンの間では、こんな噂が広まっていた。
「立浪(和義)さんがドラゴンズの監督になる時、落合英二が名古屋に帰ってくる」
それが実現した。落合英二さんが帰ってくる。引退後は野球解説者(CBC)を経て、2010年から韓国に渡り、サムスン・ライオンズのコーチに就任した。その後は千葉ロッテマリーンズのコーチなど、日韓両国で指導者としての実績を積み重ね、2021年シーズンまでサムスンで2軍監督を務めてきた。立浪新監督とは1969年生まれの同い年、満を持しての“同期”登板となる。

日大からのドラフト1位

落合英二さんは、故・星野仙一さんから故・高木守道さんへ監督が代わったシーズオフ、1991年(平成3年)のドラフト会議でドラゴンズに1位指名された。名門・作新学院高校から日本大学に進み、東都リーグで活躍するも、4年生の時に右ひじを骨折。しかし、ドラゴンズはその投球能力を高く評価して、落合投手を獲得した。ドラフト会議当日の夜、全国放送のプロ野球番組に、福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)から1位指名された若田部健一投手(駒澤大学)と2人でスタジオ生出演して、明るいトークを繰り広げた記憶はファンとして鮮明だ。若田部投手は翌年のルーキーイヤー早々に10勝を挙げたが、落合投手は右ひじにサファイアを埋め込む手術をして、登板はなかった。

中継ぎで輝いた背番号「26」

2年目の1993年から徐々に登板し始めた落合英二投手が輝いたのは、2度目の星野政権でリーグ優勝を果たした1999年(平成11年)だろう。前年に最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲っていた落合投手は、“韓国の至宝”と呼ばれた宣銅烈(ソン・ドンヨル)投手、その年はルーキーだった岩瀬仁紀投手、長い髪で豪快な投球だった左腕のサムソン・リー投手と共に、右2人と左2人による、強力な“抑えカルテット”を構築した。先発投手は5回まで投げれば、後にはこの4人が控えていた。落合投手は回復した右腕を力強く振り、1988年以来11年ぶり5回目の優勝に貢献した。実に安定感のあるリリーバーだった。2004年、落合博満監督1年目でのリーグ優勝にも、中継ぎの中心として活躍した。入団時の背番号「19」は「26」に変更されていたが、ファンにはその背番号の方が印象深い。

落合コーチへ、そして選手たちへ

「サンデードラゴンズ」©CBCテレビ

落合英二さんが2006年の現役引退以来久しぶりに帰ってくるドラゴンズは、12球団屈指の「投手王国」である。チームの課題は打撃と言われているが、それも現在の投手力が維持されてこそのこと。好い投手は何人いてもいいし、投手力はどこまで高みに昇っても昇りすぎではない。
誰からも好かれる人柄と熱い指導力で、立浪ドラゴンズをさらに飛躍させてほしい。
そしてドラゴンズの選手たち。落合英二コーチから、野球に向き合う姿勢と頭脳的な投球術を学び、さらなる「投手王国」を築いてほしい。

【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。

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