22歳の川上憲伸が「ドキッとした」星野仙一監督の声に宿る迫力

CBCラジオ『ドラ魂キング』、「川上憲伸、挑戦のキセキ」は、野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という視点から振り返るコーナーです。8月6日放送では、明治大学野球部を経て中日ドラゴンズに入団した際の、大学の大先輩でもある星野仙一監督との出会いについて伺いました。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。
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川上さんにとって星野監督は、プロ野球の監督というよりも、まず明治大学の大先輩という存在でした。
本来であればプロとアマチュアという初めての関係のはずでしたが、すでに先輩後輩の関係が確立されており、「ドラゴンズの星野監督」というよりも「明治大学の大先輩がプロ野球の監督をされている」という位置付けだったと振り返ります。
明治のエースとしてキャッチャーも務めたという共通点もありました。
最初の食事の時に、星野監督が川上さんを笑わせてくれたり、和やかな雰囲気を作ってくれていたといいます。会話はやがてプロ野球の厳しさについての話へと変わっていき、周りの空気にはピリピリとした緊張感が漂っていたそうです。
声の強弱に感じた凄み
川上さんは、星野監督のオーラと話し方に強い印象を受けたといいます。
時には迫力ある高い声で、時には優しく低い声で話す、その声の強弱が「ドキッとするような」感覚だったと振り返ります。
当時22歳だった川上さんは、この声の使い分けに「プロ野球の人は、野球だけでなく、役者のような話し方もできないとダメなのかな」と感じたといいます。
「お前徳島商業やろう」という故郷の話から始まり、明治大学時代の仲間の話など、和やかな雰囲気で進んでいた会話が、急に練習内容の話へ。
川上さんは「大学の練習内容はきつかったかみたいな話になって。こういうランニングしてました、きついと言えばきついですねみたいな感じ」と当時を思い出します。
そこで星野監督から返ってきたのは「プロはもっと激しいから覚悟しとけ」という厳しい言葉でした。
「ピッチャーは下半身」
星野監督が常に強調していたのは「ピッチャーは下半身」ということ。
「下半身の怪我で走りたくても走れなくなった時は、上半身や投げる方にも影響するのは絶対やから」
この話をする時の星野監督には笑顔がなかったといいます。
「キャンプから走るから、キャンプになって体作ろう思ったら大間違いや」
「キャンプで耐えれる体力を作ってこなあかんよ」
これらの星野監督の言葉は、プロの厳しさを物語るものでした。
気配りの人としての一面
厳しさで知られる星野監督ですが、宮部は「あれだけ拳を振り上げながら、気配りの方なんですよ」と、その優しさを語ります。
阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を経て、交流戦で名古屋に帰ってきた時、星野監督は「おい宮部、お前ハゲたな」と声をかけてくれたといいます。
「前を覚えててくださるということ。そして、その変化に気づいてくださる。こんな嬉しいハゲはない。その変化をいじってくださる」と、星野監督の気配りに感動したエピソードを明かしました。
(minto)
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