お花見の起源は弥生時代!桜を知って、春をもっと楽しもう

全国で続々と桜の開花宣言が発表され、満開が待ち遠しい時期となりました。外を歩いていても、思わず木々を見上げてしまう人も多いのではないでしょうか?3月29日放送のCBCラジオ『石塚元章 ニュースマン!!』では、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が、そんな桜の知られざる秘密について話します。聞き手は加藤愛です。
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石塚「桜、見ました?」
加藤「はい。自転車乗ってたり歩いてたりすると、いろんなところで見られるようになってきて。春だな~!って思います」
日常生活の中で花弁がほころんできているのを眺め、癒されているという加藤。この時期は外を歩いているだけでも、何だかウキウキしてきますよね。
石塚「わざわざ花見に行かずとも、ということですね」
加藤「花見も行きたいですけどね!」
桜を見るとなぜか心が高揚するものです。そんな桜を愛する日本の文化は、なんと弥生時代からすでにあったとも言われています。
当時は神様の宿る樹木として祀られていたようで、桜が咲くと「田の神が帰ってきた」とされ、木の周りに集まって神様におもてなしをしたことがお花見の始まりだそうです。
それが現在のような「美しい花を見て楽しむ」という文化に変わってきたのは、平安時代からとのこと。
桜の栽培も当時から行なわれていたようで、今のようなお花見スタイルが始まったのもこの時期からなのだそうです。
吉野への憧れ
ただそういったお花見は、当時は貴族だけが楽しむものでした。
鎌倉時代からは少しずつ貴族以外の階級にも広まっていき、江戸時代に入ると身分に関係なく、誰もがお花見を楽しむようになったのだとか。
そしてそんな江戸時代に作られたのが、日本で最もポピュラーな桜「ソメイヨシノ」です。
石塚「桜もいろいろあるけれど、ソメイヨシノが日本の桜のメインだよね」
ソメイヨシノは江戸の末期、染井村(現在の東京都豊島区駒込)で新しい品種として生み出された桜。
当時、桜の名所はなんといっても奈良県の吉野でした。とはいっても簡単には行けるわけではなく、江戸の庶民には、吉野の桜に対する憧れがあったようです。
そんな憧れから、染井村で栽培された新しい品種の桜には「染井村の吉野桜になって欲しい」という意味を込めて「ソメイヨシノ」と名付けられました。
石塚「すると『これが噂の吉野の桜か!』と評判になり、非常に人気になった。いわゆるブランド戦略の走りだったのが、この『ソメイヨシノ』だったということですね」
防災にも役立つ桜
そんなソメイヨシノが人気になったのには、他にも理由があります。
石塚「ヤマザクラなんかは咲くのに10年くらいかかるところを、ソメイヨシノは5年で咲くので、桜の名所を作るのに非常に便利だったんですね」
接ぎ木が簡単で育成も早く、さらに丈夫。その結果、日本には爆発的にソメイヨシノが増えたそうです。
加藤「そのおかげで春を感じられるんですね」
桜といえば、よく川の土手に沿ってずらっと植えられているのを目にします。この「川沿いに桜を植える」のも、江戸時代から始まったのだとか。
石塚「桜が咲く時期になるとみんなが見に来るから、それで土手が踏み固められて堤防が強固になる。つまり客寄せ桜だったわけです」
土手の地盤を固め、大雨による氾濫を防ぐ目的があったとのこと。当時、治水のために作られた堤防を頑丈に固めるのには大変な人手と労力が必要でしたが、「桜を植えれば見物人がたくさん来て、土を踏み固めてくれるのでは」と考えたそうです。
加藤「よく考えられてる!一石二鳥なんですね」
桜餅の葉っぱ、剥く?剥かない?
石塚「この時期になると、つい話したくなる小咄があるんです」
そう言って話し始めた石塚。
石塚「昔、隅田川の河原で桜餅を売っていて。桜餅って桜の葉っぱで巻いてあるでしょ?初めて桜餅を食べる人が茶屋でそれを買って、『これ、どうやって食べたらいいのかな』って聞いたんです。
そしたら『かわをむいて食べるんだよ』って言われたので、その人はなるほどと思って座り直して、川を向いて皮ごと食べたっていう話」
言葉遊びが面白い小咄ですが、たしかに川のせせらぎと桜を眺めながら食べるのが一番おいしいのかもしれません。
石塚「だけど桜餅の皮って、剥く人と食べちゃう人といますよね。私は剥いちゃうかな」
加藤「私もですね!」
桜餅の葉は、剥くもそのまま食べるも好みでいいそうです。「花より団子」なんてことわざがありますが、「花も団子も」どちらも楽しみたい桜の季節です。
(吉村)
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