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ヨーロッパの街には「ごみ箱」がある!日本では撤去された生活の必需品

ヨーロッパの街には「ごみ箱」がある!日本では撤去された生活の必需品
「メトロ(地下鉄)ホームのごみ箱(パリ)」:筆者撮影

久しぶりに訪れたヨーロッパの各都市を街歩きしていて、とにかく目についたのは、ところどころに置かれているごみ箱だった。今や日本国内で、路上のごみ箱を見かけることは少なくなった。それもあって、何とも新鮮な感覚だった。

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ごみ箱はどこにでもある

「街中のごみ箱(ローザンヌ)」:筆者撮影

旅先ではよく歩く。歩くことで、より街の空気に触れることができる。今回のヨーロッパ旅行でも、ペットボトルの水を飲みながら、または、サンドイッチなどの軽食を食べながら、街歩きを楽しんだ。おのずからごみが出てしまうが、それを持ち帰る必要も、捨てるごみ箱をわざわざ探す必要もなかった。イタリアのローマでも、スイスのローザンヌでも、必要な時にすぐに見つかった。フランスのパリでは、メトロ(地下鉄)のホームのベンチ横にもれなくごみ箱が設置されていた。

名古屋の街から撤去された

ひるがえって、筆者が暮らす名古屋の街、今や公衆の場に「ごみ箱」の姿はない。20年ほど前の2004年(平成16年)に、名古屋市の「公衆ごみ容器」は完全に撤去された。かつて名古屋市は、ごみの最終処分場建設計画が持ち上がっていた藤前干潟を保全するため、その埋め立てを断念した。それと共にごみの量を減らす目的で、1999年(平成11年)に「ごみ非常事態宣言」を出して、家庭ごみなどの徹底的な分別収集をスタートした。

ごみ箱をなくすメリット

その結果、ごみの量は激減する大きな成果を挙げたのだが、分別が始まった当初は、公園や地下鉄の駅の公衆ごみ箱に、家庭ごみを捨てに来る人も少なくなかった。このため、こうしたごみ箱の撤去が進められた。駅のごみ箱については、すでに1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件以降、テロ防止の観点から撤去が進んでいたので、それにも拍車がかかった。さらに捨てられたごみの回収にかかる人件費などの費用の削減にもなった。こうして今では、名古屋市内で公衆のごみ箱を見かけることは、ほぼなくなった。この傾向は他の自治体でも同様である。

ごみを捨てられない不便さ

「街中のごみ箱(ローマ)」:筆者撮影

しかし、街の中で行動していると、どうしてもごみを捨てる必要が出てきてしまう。使ったティッシュペーパーの始末、何かを食べ終わった後の油がついた紙の捨て場所など、「自分のごみは自分で始末する」と分かっていても、かばんやズボンのポケットに入れることにも少し抵抗がある。こんな時、ついついごみ箱を探してしまう。ヨーロッパでは、そんなストレスがなかっただけに、日本国内でのごみ箱撤去の徹底ぶりが印象的だった。

「塵芥箱」から100年の歴史

日本における「ごみ箱」の歴史は、1900年(明治33年)から始まったと伝えられる。この年に日本最初の廃棄物処理に関する法律「汚物掃除法」が制定された。それに伴って、街中には、木で作られた「塵芥箱(じんかいばこ)」と名づけられたごみ箱が設置されていった。これには蓋(ふた)も付いて、ごみが拡散しないような工夫もされていた。1世紀あまりの時が流れ、その「塵芥箱」の歴史も節目を迎えてしまったということだ。

ルールを守る民度なのか?

「分別収集の風景(ローザンヌ)」:筆者撮影

最近では、ごみが溜まると自動的にそれが圧縮される、新型のごみ箱も開発されている。ごみの量が圧縮されるため、回収する回数も少なくて済む。こうした“新兵器”も登場するほどに、人が暮らして活動する以上、ごみはどうしても出てしまうのである。ヨーロッパでは、公衆のごみ箱に家庭ごみを持ち込む“不届きな”ケースも少なく、人々は出たごみを粛々と街のごみ箱に捨て、清掃員は粛々とそれを回収処分していく。それは街づくりの成熟度なのか、あるいはルールを重んじる民度の高さなのか。目の当たりにした長年にわたる“暮らしの習慣”の日常だった。

街中からごみ箱を一切なくす、なくさない。針は右にふれるか、左にふれるか。そんな極端なことではなく、必要ならばごみ箱を設置して、ルールを守りながら利用する。そうした中庸な“さじ加減”ができるといいなと、あらためて思ったヨーロッパの街の風景だった。

【東西南北論説風(603)  by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

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