牛乳配達の懐かしき音~ニッポンに「牛乳」と「朝」を届けた宅配サービスの記憶

牛乳配達の懐かしき音~ニッポンに「牛乳」と「朝」を届けた宅配サービスの記憶

夜明け前の街に響いた、あの音が懐かしい。自転車の荷台に乗せられた箱の中で、びん同士がぶつかり合って奏でる音。それは「牛乳配達」と共にやって来た。

牛乳配達の歴史は?

牛乳が、びんに詰められて各家庭へ宅配されるようになったのは、明治時代の半ばと記録されている。昭和の時代に入って、牛乳の殺菌処理がルール化されて、牛乳びんの形も統一された。今日でもおなじみの、あの広い口の無色透明のびんである。戦後はトラック輸送などが発展して、一般家庭への配達がますます広がった。どの町にも、大きな冷蔵庫を備えた牛乳販売店があり、店の人が自転車の荷台に牛乳びんが入った箱を積んで、各家庭へ配達した。

朝を告げる“音”だった

そこで“音”の記憶である。自転車の荷台で「ガチャガチャ」と牛乳びん同士がぶつかり合う音、これが「朝が来た」ことを告げてくれた。自転車が止まる「キーッ」というブレーキの音と共に。特に冬の季節、牛乳が配達されるのは夜明け前だった。徹夜で勉強した時は、その音で「もう朝なのか」と気づき、いろいろ思い悩み眠れなかった夜は「もう朝が来てしまった」と少し焦った思い出もある。牛乳が配達されて、夜が白々と明け始め、そして鳥のさえずりが聞こえてくる。ニッポンの朝の風景だった。

各家庭にあった牛乳箱

CBCテレビ:画像『写真AC』より「牛乳箱」

宅配される牛乳びんのために、各家庭の門の外や玄関先には「牛乳箱」が置かれていた。主に木製の箱で、戸口に釘で打ち付けられている家もあった。それぞれの牛乳メーカーの色によって分かれ、どの家がどの社の牛乳を飲んでいるのか、一目瞭然だった。牛乳販売店の人は、その箱に毎朝新しい牛乳が詰まったびんを入れてくれる。飲み終わった空きびんを前日までに入れておくと、それを回収してくれるというシステムだった。新聞と牛乳、宅配の双璧だった。

新鮮な牛乳が家庭に届いた

CBCテレビ:画像『写真AC』より「牛乳びん」

その新聞の朝刊と、牛乳箱から牛乳びんを取ってくるのが、子どもの役割だった家も多かったことだろう。びんは落とすと割れてしまう。朝刊を小脇にはさんで、手で冷たい牛乳びんを慎重に持つ。懐かしい思い出である。新鮮な牛乳が毎日家庭に届けられて、それを家族が朝食で飲むことができる。これは、今ふり返っても、細やかで画期的なサービスだった。そして、毎日牛乳を飲むという習慣が、日本の各家庭にあった時代だった。

時代と共に姿を消す

そんな牛乳配達にも、時代の波は訪れた。1970年代の後半、昭和50年代に入ると、大手の乳業メーカーは、紙容器、すなわち紙パックの容器に牛乳を入れて、スーパーマーケットなどで販売するようになった。これによって、牛乳の宅配は一気に減少した。現在も牛乳が配達されるところがあるが、牛乳は「宅配で飲む」ものではなく「店で買う」ものに変わっていったのである。

「牛乳配達」は、牛乳という“味”を届けると共に、ニッポンの家庭に“朝”も届けていた。そんな暮らしの風景、あの“音”を伴っての懐かしい思い出である。

          
【東西南北論説風(472)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。
CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。

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