懐かしき昭和の味「粉末ジュース」で学んだ、自分でブレンドする飲み物の魅力

懐かしき昭和の味「粉末ジュース」で学んだ、自分でブレンドする飲み物の魅力

「粉末ジュース」ってご存知ですか?
昭和30年代から40年代にかけての、懐かしい“飲み物”。子ども時代の記憶をたどると、水道の水が、あっという間に“魅力的なジュース”に変身したという驚きがあった。

粉末ジュースはこう作る

「粉末ジュース」は、1回に飲む分の粉が一袋ずつ小分けにされていた。それをコップに入れて、水道の蛇口から水を注ぐ。「冷蔵庫に冷えたミネラルウォーターのペットボトル」という時代ではない。袋には「溶かす水の量」が、例えば120ccなどと書かれてはいたが、計量カップなどを使うこともなく、目分量で薄めた。「マドラー」などという存在も知らず、スプーンや箸の反対側でかき混ぜた。一袋5円から10円で、子どもでも買いやすい値段だった。

それぞれの家庭の味

CBCテレビ:画像『写真AC』より「オレンジジュース」

我が家にあったのは、主にフルーツ味だった。オレンジとイチゴが、その双璧だった。学校から帰ると、まず「粉末ジュース」を作って飲んだ。子どもにとっての、ささやかな贅沢だった。何せ、水道の水がジュースに変わるのである。友だちの家に遊びに行くと、おやつの時間には、お菓子と一緒に「粉末ジュース」が出てきた。自分の家にはない別のフルーツ味が登場すると、とても嬉しかった記憶がある。

子どもなのに「ブレンド」

だんだん慣れてくると、自分でジュースの味を調整するようになった。少し濃い目が飲みたくなると、溶かす水の量を減らしてみた。また、ある日、思いついてオレンジをベースにイチゴの粉末を少し加えてみたら、新しい味になった。子どもの立場にして、飲み物の“調合”を経験したのである。この“ブレンド”は魅力的だったが、粉の量を測っているわけではないので、二度と同じ味を作ることはできなかった。作ったジュースを、製氷皿に入れて冷蔵庫の冷凍コーナーに入れて置き、自前のアイスキャンディーを作ったこともあった。

粉を直接食べる魅力

やがて、水に溶かすのではなく、粉を直接食べても美味しいことに気づいた。唾をつけた指先に、粉末をつけて口に運ぶ。「ジュース」として完結させるわけではないのだから、少し“ルール違反”的な背徳感も味わった。地元の会社が製造発売していた「春日井シトロンソーダ」という粉末ジュースも人気だったが、直接食べると普通のフルーツ味とは違って、少しピリピリと舌を刺すような、ソーダの刺激感も好きだった。

消えていく粉末ジュース

CBCテレビ:画像『写真AC』より「炭酸ジュース」

そんな「粉末ジュース」は、昭和40年代半ばになると、家庭から次第に姿を消していった。戦後社会も次第に豊かになっていき、「粉末」ではない普通の瓶入りジュースが続々と登場した。子どもたちも、すでに“作り上げられている”そんなジュースを飲むようになり、いつしか「粉末ジュース」から遠ざかっていった。

時代は巡り、ジュースではないけれど、旅先のホテルなどで、パックに小分けされた粉末のコーヒーや緑茶などに出合うことがある。また、スポーツジムでは、プロテインの粉末を容器で水に溶いて、トレーニングの合間に飲んでいる人の姿も見る。そんな時、ふと、子ども時代に毎日のように飲んだ、懐かしい味を思い出す。「粉末ジュース」の文化と技術は、今も生きているのである。
          
【東西南北論説風(466)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。
CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。

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