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覚えていますか?ケガには「赤チン」~保健室に家庭に常備されていた懐かしの薬

覚えていますか?ケガには「赤チン」~保健室に家庭に常備されていた懐かしの薬
CBCテレビ:画像『写真AC』より「救急箱」

昭和の時代を小学生として過ごした身として「赤チン」は必需品だった。放課後になると、学校の校庭や近所の公園で、毎日のように友だちと遊んだ。そして、転んで擦り傷や切り傷ができた時は「まず赤チン」だった。傷口に赤チンを塗った。

赤チンは米国生まれ

赤チンの正式名称は「マーキュロクロム液」である。20世紀の初めに、米国で作られた消毒薬。それまでの消毒薬は、ヨウ素をアルコールで溶かした「ヨードチンキ」で、独特のこげ茶色をしていた。「ヨーチン」と呼ばれていた。この「ヨーチン」は、傷口に滲みた。家庭の薬箱に常備されていたが、滲みて痛いため、それに耐えることができる“大人向け”の消毒薬だという印象を、ずっと持っていた。

傷口に滲みない消毒薬

そこに現れたのが「マーキュロクロム液」である。その色が赤かったことから、「ヨーチン」と対比させて「赤チン」と呼ばれるようになった。傷口に滲みたヨーチンと違って、赤チンは滲みなかった。“傷口に滲みない消毒薬”の登場だった。このため、赤チンは“手軽な消毒薬”として日本全国の学校や家庭に広がっていった。1960年代(昭和30年代後半から40年代)、全国でおよそ100社が、赤チンを製造していたそうだ。

赤チンを塗った子どもたち

CBCテレビ:画像『写真AC』より「膝のケガ」

「赤チン」は、学校では保健室に、家庭では薬箱に、必ずと言っていいほど常備されていた。それだけ身近な薬だった。ひじや膝を、赤チンを塗って真っ赤にした子どもの姿は、いわゆる昭和の日常風景だった。“元気”の証拠であったのかもしれない。時おり、顔のケガに赤チンを塗っている友もいたが、さすがに顔に塗ると痛々しい感じでもあった。

“かさぶた”の思い出

塗り続けて日にちが経つと、次第に傷口が固まってくる。だんだん“赤いかさぶた”ができてくる。子どもの頃は、それは赤チンの効能かと思っていたが、実際は血液による自浄作用だったと、後になって知った。「赤チンを塗れば、傷口は固まって治る」そう信じていたからだ。だんだん痒くなってきて“かさぶた”を取ると、まだ完全に治っていなくて出血、再び赤チンのお世話になることも多々あった。苦い思い出である。

姿を消した赤チン

そんな「赤チン」にも時代の波が押し寄せた。1970年代になると、無色の消毒液が登場。いわゆる「白チン」などと呼ばれ、赤チンと違って色が目立たないことから、人気を集め始めた。スプレー式もあったため、使い勝手もよかった。さらに赤チンの「マーキュロクロム液」には、少量だが、その製造過程で水銀が発生した。廃液の処理に費用がかかった上、水銀製品の製造を規制する法律も作られ、赤チンの数はますます減った。2020年(令和2年)いっぱいで、1社だけ残っていたメーカーも製造を終了した。発祥の米国でも、同じように製造が終了している。

そんな「赤チン」の思い出を振り返りながら、最近は、子どもたちが校庭や公園で遊ぶ風景が少なくなってきたことに思いをはせる。その意味で「赤チン」は、外で遊ぶ機会が多かった昭和の時代を象徴する一品でもあった。赤い色によって、外で遊ぶ子供たちをしっかりと支えていた。そんな「赤チン」も、そして遊んでケガをする子どもたちも、今では“記憶遺産”の仲間入りを果たしたのかもしれない。
        
【東西南北論説風(471)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。
CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。

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