懐かしき黒電話の記憶~ヒット曲に歌われた「ダイヤル回して手を止めた」の心
昭和時代に大ヒットした歌に、小林明子さんの『恋におちて-Fall in love-』がある。いわゆる“不倫”をテーマにしたテレビドラマの主題歌だったが、心に刺さる歌詞があった。「ダイヤル回して、手を止めた」。ひとりの夜、愛する相手の声を聞こうと電話の受話器を取るのだが、ひょっとしたら家族が電話に出るかもしれない。電話していいものだろうか。そんな“ためらい”を描いた、何とも切ないフレーズだった。
見たこともない電話機
時代は変わり、この歌詞の意味、今の若い人たちに分かってもらえるだろうか。NTTが数年前に実施したアンケート調査では、「公衆電話を使ったことがない」と答えた小学生は8割以上だったそうだ。今や、そんな子どもたちでも「携帯電話」を持つ時代、プッシュ型が主流の公衆電話でさえ「かけ方を知らない」時代に、“ダイヤルを回す”電話を見たこともない人も増えていることだろう。
その「かけ方」を説明すると・・・
「ダイヤル式電話」は、米国の電話会社が採用した“黒い電話機”が元祖とされる。日本では、1933年(昭和8年)に、当時の逓信省がそれをモデルとして製造し、日本電信電話公社(現・NTT)が、一般家庭にも普及させた。携帯電話がない時代、電話機はすべて固定電話であり、「ダイヤル式電話」すなわち「黒電話」が主流だった。電話機本体の真ん中に、直径10センチほどの“円盤型”のダイヤルがあり、そこには「1」から「0」まで、10の数字に指が入るような穴が空いていた。かけたい番号の穴に指を入れて、右回り、すなわち、時計回りにダイヤルを回す。右下には留め金の“ストッパー”があり、そこに指が当たるまで回して放す。ダイヤルが元の位置まで戻ったら、次の番号を回す。それが「ダイヤル式電話」のかけ方だった。
ダイヤルが運ぶ“ためらい”の間
ストッパーから遠い「8」「9」「0」などを回す場合は、その時間がとても長く感じられた。市外局番を含めて、合わせて10回、数字のダイヤルを回すことになる。そこで、冒頭『恋におちて』の歌詞である。ためらいをもたらす時間が、そこにはあった。そんな情感の“間(ま)”を味わいながら、ダイヤルを回した経験がある人もいるだろう。ドキドキしながら、または、ひょっとして少し不安になりながら。電話のダイヤルは、それぞれの人生に、短いけれども考える間(ま)を与えてくれたような気がする。
相手の電話番号を覚えた
ダイヤル式電話をかける時には、相手の電話番号を、きちんと知っていなければならなかった。途中で戸惑ったりしていると“時間切れ”になって、また最初からダイヤルしないといけなくなった。携帯電話では、かけたい相手の名前を押せば、自動的に相手にかかる。このため、その電話番号を覚える必要もなく、いつのまにか覚えなくなっている。ダイヤル式電話で度々かけた親戚や友人らの電話番号、実は、かなりの歳月が経った今も、覚えていることが多い。これぞ、ダイヤル式電話の特性だろう。
家族みんなが使う電話機
さらに、携帯電話の場合、「今どこにいる?」と尋ねることが多いが、ダイヤル式電話の固定電話の場合、かける相手の居場所は分かっている。「今どこにいる?」ではなく「今、何していた?」から、会話が始まった。電話の置き場所は、一般家庭の場合、玄関先や茶の間が多かった。携帯電話のように“個人専用”ではなく“家族みんなが使う電話機”だった。このため、例えばガールフレンドなどと、家族の前で話すのは、どこか恥ずかしいこともあり、逆に、相手の親御さんが最初に電話に出た時は、緊張するという思いをした方も多いのではないだろうか。そして、友人の親の声も知っていたし、逆に、こちらの声も分かっていただろう。現在は、携帯電話による“個のコミュニケーション”の時代である。
時代の波間に消えていく
そんな「ダイヤル式電話」も、1969年(昭和44年)に登場した押しボタン式の電話、翌年には公募によって「プッシュホン」と名づけられた電話が登場すると、節目を迎えた。プッシュホンは、トーンダイヤル方式というシステムで、ボタンごとに異なる周波数の音があって、瞬時に電話がつながった。相手にかかるまでの時間は大幅に短縮され、その便利さから、家庭用の固定電話も「ダイヤル式」から「プッシュホン」へ替わっていった。そして、1987年(昭和62年)にお目見えした「携帯電話」。今では、家庭に固定電話を置かずに、「携帯電話」を連絡手段の主流にしている人も多い。
名曲『恋におちて-Fall in love-』の歌詞も、その意味が分からない人が、時代と共に増えていくことも、やむを得ないことだろう。しかし、「ダイヤル式電話」が人と人との間にもたらした、コミュニケーションの“味わい”。そこに存在した時間の“間(ま)”は、どこか懐かしい記憶である。
【東西南北論説風(460) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。
CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。