天然の炭酸水に味をつけよう!国産「サイダー」の誕生と人気飲料への道
サザンオールスターズには、実は「サイダー」をテーマにした歌がある。初期の頃の『青い空の心』、そして最近ではデビュー40周年に出した『壮年JUMP』。どちらもサイダーの魅力をうまく歌詞に盛り込んであり、聴くと思わず無性に飲みたくなる。
炭酸の飲み物は、紀元前の古代エジプトにあったと伝えられる。天然に湧き出る炭酸ガス入りの鉱泉は「身体にいい」と言われ、病気の人に飲ませたそうだ。18世紀になると、英国で炭酸水を作る機械も発明されて、その炭酸水に味をつけて飲むようになった。それを「サイダー(cider)」と呼ぶようになった。もともとは、リンゴを発酵させて作る発泡性のお酒のことを表す英語で、このリンゴ酒、フランスでは「シードル」と呼ばれる。お酒ではない「サイダー」は世界各国に広がっていった。
「サイダー」が日本に持ち込まれたのは、江戸時代の末期。長崎にやって来た英国船に積まれていたと言われている。しかし、当時は日本に来る外国人向けの飲み物で、日本人の口にはなかなか入ることはなかった。明治時代に入って、1881年(明治14年)に、兵庫県多田村の鉱泉から湧き出る炭酸水が見つかった。来日していた英国の化学者が「美味しい」と褒めたことから、三菱財閥系の会社がその鉱泉を手に入れて、飲み物として売り出した。しかし、当時の日本人には発泡性の水を飲む習慣がなく、あまり売れなかった。
「せっかくの良質の炭酸水を売るためにはどうしたらいいのか?」
そこで江戸時代にやって来た飲み物のように、この炭酸水に味をつけることになった。日本で国産サイダーの開発がスタートした。
炭酸水に味をつける。「酸味」「甘味」そして「香り」の内、工夫が必要だったのは「甘味」だった。日本の水の多くは、カルシウムとマグネシウムの量が少ない軟水で、ご飯を炊いたりお茶を入れたりするのには適していたが、天然の炭酸水には単に砂糖を混ぜるだけではうまくいかなかった。そのため、砂糖を煮詰めて糖分を凝縮させたカラメルを作り、炭酸水に混ぜる工夫をした。最初にでき上った国産サイダーが透明ではなく茶色っぽかった理由である。「香り」は、本場の英国から香料エッセンスを取り寄せたが、それはリンゴ味。日本独自の“隠し味”としてパイナップルの香りをブレンドした。「リンゴ+パイナップル」は日本で生まれたオリジナルな味である。
こうして、1907年(明治40年)に国産のサイダーができ上り「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」として全国発売された。これが現在の「三ツ矢サイダー」である。
使った炭酸水が湧き出た兵庫県多田村には、源頼朝や義経の先祖でもある源満仲という武将の伝説が残っていた。平安時代に城を築くために神社のお告げに従って矢を射たら、それが多田村だったと言う。それをきっかけに「三ツ矢」という姓を名乗った住民もいた。その地で湧く炭酸水、ゆかりの「三ツ矢」をブランド名に使うことに決めて、瓶のラベルには3本の矢を描いた「三ツ矢」マークを使うことになった。
「三ツ矢サイダー」は、日本国民にとって人気の飲み物へと歩んでいく。明治の文豪である夏目漱石もサイダーをこよなく愛したと言われる。大正時代には、詩人で童話作家である宮沢賢治もサイダーが大好きだった。地元の岩手県には「給料が入ると蕎麦屋に駆けつけて、天ぷらそばと共にサイダーを飲んでいた」というエピソードも残っている。昭和時代に入って終戦後は、サイダーは子どもたちにとって特別な飲みものになり、あまりの人気に一時は品切れ状態になったため、新聞にお詫び広告が出されたこともあった。三ツ矢サイダーは、現在はアサヒ飲料グループによって製造されて、果汁とブレンドするなど様々な味の工夫と改良をしながら“国民的人気の飲み物”として、歴史を歩んでいる。
偶然見つかった炭酸水に、ニッポン独自の味と香りを加えることで、多くの人に愛される飲み物が誕生した。「サイダーはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“泡のように消え去ることなく”刻まれている。
【東西南北論説風(369) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。