北沢川の上流だから「上北沢」!?古道を辿ると“地名の由来”が分かる!鎌倉と各地を結んだ「鎌倉街道」の「中道」
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道を紹介。今回は、鎌倉と各地を結んだ「鎌倉街道」のひとつ「中道(なかつみち)」を辿りながら、街の歴史を紐解きました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)
上北沢の交差点に街道の入口!?鎌倉と各地を結んだ「鎌倉街道」

今から約800年前、鎌倉幕府を開いた源頼朝が支配力強化のために整備した鎌倉と各地を結んだ「鎌倉街道」。関東地方を中心に広がる主要なルートは、「上道(かみつみち)」「中道(なかつみち)」「下道(しもつみち)」の3本あり、交通路かつ合戦時にそなえた軍事道路の役割も果たしていました。

そんな鎌倉街道へと繋がる入口が、東京都世田谷区の上北沢を走る甲州街道(国道20号)の交差点にあります。今回は、東北方面に伸びる主要ルート「中道」を巡り、その歴史を深掘りしました。
北沢川が由来!?「上北沢」「下北沢」になったワケとは

世田谷区には、西に「上北沢」、東に「下北沢」が離れて存在。
「大昔、この辺りは『北沢村』という大きな村だった。上(かみ)と下(しも)に分かれて、真ん中に別の村が入ったので、上北沢と下北沢が離れた」と道マニア。また、「北沢川という川が流れていて、今は暗渠になっている。その上流が上北沢、下流が下北沢だった」と言います。

東西に位置するこの2つの地名が上下で分けられているのは、方角ではなく北沢川の上流・下流を指しているからと言われるため。古い地名は、川の流れや土地の高低差、都への近さなどを考慮して名付けられ、方角よりも“上(かみ)”“下(しも)”などの表記が目立つと言われています。
傾斜を緩やかにするための工夫も?「塚山公園」と鎌倉橋

鎌倉街道を北上した杉並区には、「塚山公園」があります。
「ここで鎌倉街道が曲がっている。この先は傾斜が急で、それだと馬も人も大変。なるべく斜面の角度を緩くするために、わざとカーブしている」そうで、「すぐ北側に神田川が流れているから土地が低くなっている。だからここは“山”と呼ばれる」と言います。

この「塚山公園」は縄文時代の住居跡が見つかった場所で、現在も園内には復元された竪穴住居が存在。近くに川があり食料を得やすく、高台のため水害にも遭いにくい、古代の人々にとって暮らしやすい場所だったと考えられています。

さらに、塚山公園を下った川沿いには、鎌倉橋や石碑も。江戸時代初期からその存在が確認されており、古くから交通の要衝だったことを物語る重要なポイントとなっています。
かつて古道だった!?今も痕跡が残る「阿佐谷パールセンター」

杉並区の阿佐ヶ谷駅南口から続く「阿佐谷パールセンター」は、「鎌倉街道の道筋そのもの」と道マニア。

約700mにわたって多くの店が立ち並ぶ古道の商店街で、昭和29(1954)年に歩行者専用道路となり、昭和37(1962)年に全面アーケード化。戦後、街ににぎわいが戻る中、買い物客が安心して歩ける都内でも先駆けの歩行者中心の通りになりました。商店街の中にはお地蔵さんがあり、古道の痕跡が今も残されています。

「阿佐ヶ谷」は、周辺に“浅い谷地”が存在していたことに由来しており、周辺には川や水路も多く、阿佐ヶ谷パールセンターが微妙に方向を変えながら伸びているのも、古い道筋や地形の名残と考えられています。
「鎌倉街道」と「としまえん」の意外な関係

「阿佐ヶ谷」のさらに北にある練馬区には、遊園地「としまえん」が2020年まで存在していました。道マニアは、「昔、豊島郡という広い地域があって、そこを領していた武将が地名を取って自分を『豊島』と名乗った。豊島氏がこの辺にお城を持っていて、その城跡がとしまえんになった」と言います。
また、周辺には人が馬を乗れるように調教する場所があったそうで、「馬を乗れるように調教することを“馬を練る”と言う。だから、ここは練馬区」とのこと。

かつて練馬城には出入口に“馬出し”という小さな防御陣地が存在し、日本で最も古い時期に作られた“馬出し”のひとつと言われています。今は穏やかな公園へと姿を変え城の痕跡はありませんが、鎌倉街道を見守る交通の要衝として、この地は確かに歴史の重要な1ページを担っています。
CBCテレビ「道との遭遇」2026年7月14日(火)午後11時56分放送より





