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2つの素掘り隧道が眠る「白川里道」岐阜・飛騨川の右岸に存在した廃道から歴史を紐解く

2つの素掘り隧道が眠る「白川里道」岐阜・飛騨川の右岸に存在した廃道から歴史を紐解く
CBCテレビ『道との遭遇』

全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道をご紹介。今回は、岐阜県にある“廃道”を巡りました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)※廃道は危険ですのでむやみに立ち入らないでください。

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【動画】どの地形図にも隧道記号が記されていない…名称不明の“素掘り隧道”が造られた理由はこちら【20分35秒~】

2つの素掘り隧道が存在 飛騨川の右岸に眠る「白川里道」

CBCテレビ『道との遭遇』

岐阜県七宗町(ひちそうちょう)を流れる飛騨川の右岸には、明治44年の地形図に徒歩道として点線で記されている道が存在します。現在は使われておらず、それ以前の地形図は存在していないため、いつどんな目的で道が造られたのか分かりません。

国道41号の「七宗第四トンネル」手前から旧道へ入り、飛山橋を渡って飛騨川の右岸側に行くと、古くは「柿ヶ野(かきがの)」と呼ばれた集落に辿り着きます。

CBCテレビ『道との遭遇』

道の脇にある廃道への入口から階段を降りると、明治時代からある小さな神社が。廃道は人や馬が通れるほどの道幅が確保されており、道中には当時のままと思われる立派な石垣や2つの素掘り隧道も残っています。

明治14年の文献「濃飛両国町村略誌」に、この道は「白川里道」と書かれているのを発見した道マニア。明治9年、道路はその重要度によって、国道・県道・里道の3種類に分けられます。そして大正8年、旧道路法施行により、里道の中でも重要な道は市町村道として認定されました。

しかし、道中には石積みが施され、隧道が2つも造られるほどの道が“里道”として分類されたことに、違和感があると道マニアは言います。

里道は区別するため…?右岸から左岸へ移り変わった「白川街道」

CBCテレビ『道との遭遇』

地元の方によると、廃道に眠る2つの隧道は明治時代に造られたもので、地区の名前を取って「柿ヶ野第1隧道」「柿ヶ野第2隧道」と呼んでいるそう。

文献に「里道」と書かれていたこの道は、“番所”へ住民が農作物を納めるために利用するなど、地域の暮らしには欠かせない道だったと言います。

また、かつてこの地区に住む人達は、岐阜や名古屋の往来に山越えをして船を利用していました。この不便さを解消するため、明治28年に飛騨川の左岸に「白川街道」を造り、往来しやすくなったと文献には書かれています。

最初に左岸ではなく右岸に道を造ったのは、日当たりが良く、雪が積もっても太陽の光で解けて通行が妨げられないようにするためなのだそう。その後、馬車の普及により道幅が狭くなり、明治28年に白川街道を左岸に新設。その道が開通するまで、右岸の道を白川街道と呼んでいたのだとか。

CBCテレビ『道との遭遇』

文献にこの道が“里道”と書かれていたのは、かつて山越えの道を白川街道と呼んでいた時に、別の道であることを区別するため、あえて里道と表記したのではないかと道マニアは考察します。

CBCテレビ「道との遭遇」2025年1月21日(火)午後11時56分放送より

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