大分県の廃道に眠る隧道 明治時代から今に残る「平淵隧道」と「浦代隧道」の歴史とは
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道をご紹介。今回は、大分県にある“廃道”を巡りました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)※安全対策をしてロケをしています。廃道は危険ですのでむやみに立ち入らないでください。
100年以上前に造られた2つの「平淵隧道」
杵築市(きつきし)には、昭和46年に県道644号が造られる前まで使われていた「県道藤原杵築線」の廃道が存在します。明治時代、八坂川沿いにベースとなるルートが造られ、県道644号が開通したことによって旧道となり、今は倒木や土砂などで荒れ果てた廃道になっています。
そんな廃道には、竣工年が不明の「平淵第一号隧道」と「平淵第二号隧道」が眠っています。「明治36年(1903年)には完成していたと、地形図から読み取ることができる」と道マニア。
道マニアが調べた情報によると、明治44年に近くに杵築駅ができたことで人の往来が増加。さらに、客馬車がすれ違えるようにする必要があったため、幅員のある隧道が造られたのではないかと推測します。
素掘りの「平淵第一号隧道」は大岩をくり抜かれた造りになっており、内部にはノミで削られた跡が見られます。また、「平淵第二号隧道」は昭和時代に改修され、今のコンクリート製になったようです。
ヘアピンカーブが特徴の廃道 浦代峠に眠る「浦代隧道」
佐伯市(さいきし)を通る新浦代(うらしろ)トンネルの近くには、浦代峠を越えるために使われていたかつての道があります。道マニアが所持する当時のその道の写真には、「ヘアピンカーブで名高い浦代峠」と書かれているほど、ヘアピンのように急角度で折れ曲がっているカーブが最大の特徴だったそう。
廃道区間には、明治43年(1910年)竣工の「浦代隧道」が存在。かつてはバスも走行していたそうで、隧道内は天井が高く、部分的に石積みで補強されています。
地元の方の話によると、廃道区間が現役だった頃は遠足や通学などに使われていたそうで、バス走行時にはヘアピンカーブで脱輪しないよう何度も切り返していたと言います。近隣の集落にとって重要だったその道は、新浦代トンネルの開通によって廃道化。さらに現在は、この近くに「第二浦代トンネル」の建設計画が進められています。
3月5日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より