山中に眠る宮城最古の隧道!国の発展のため県民の血税で造られた廃道とは
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道をご紹介。今回は、全国800か所以上の道を巡ってきた道マニア歴18年の石井あつこさんが、宮城県にある“廃道”を巡ります。※廃道は許可を得て撮影しています
明治時代に造られたかつての参詣道「高柵山隧道」
現在の「大倉ダム」の近くには、一生に一度の願いを叶えると言われる「定義如来西方寺(じょうぎにょらいさいほうじ)」への参詣道がありました。
明治時代から昭和36年まで使われていましたが、大倉ダムができたことによって今の県道55号が造られ、かつての参詣道は旧道となり、やがて廃道となりました。荒れた山道には明治17年竣工の「高柵山隧道」が残っており、素掘りの隧道内は幅が広く、出入口は少し埋もれているものの貫通した状態で残っています。
隧道を抜けた先には、人が通れる幅や高さを確保するため、断崖がコの字型に切り抜かれた「片洞門」も。隧道や片洞門が造られたことで、険しい山や断崖を登ることなく安心して参詣することができるようになりました。
明治15年竣工!宮城県内で最も古い「関山隧道」
山形県と宮城県の県境には、関山峠越えのために造られた隧道とその前後の道が残っています。「関山トンネル」の脇には国道48号ができるまで使われていた道があり、今は廃道となっています。
その先の山中に眠っているのは、明治15年竣工の「関山隧道」。明治時代になってから造られた宮城県内の隧道の中で一番古いそうで、開通当時は素掘りで多くの人や馬車が通っていました。自動車社会に対応するため、昭和12年に拡幅工事が行われて今の姿になったのだとか。
この道の整備に関わったのは、伊藤博文により東北の道路開発を命じられた三島通庸(みちつね)。明治9年に山形県令、明治15年には福島県令に就任し、東北振興を目指して数々の道路整備を行いました。
多額の道路整備の工事費を県民が負担することとなり、税金は2.5倍に。当時は「鬼県令」と称されていたそうですが、三島は道路整備が社会の繁栄に必須という強い信念を持ち、現代の道路の礎を築いたのでした。
7月18日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より