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まさに鉄腕!“竜の守護神”岩瀬仁紀の野球殿堂入りに、心からの讃歌を贈る

まさに鉄腕!“竜の守護神”岩瀬仁紀の野球殿堂入りに、心からの讃歌を贈る
岩瀬仁紀投手(C)CBCテレビ

背番号「13」が竜の勝利のマウンドに立つ姿を、どれほど見たことだろう。中日ドラゴンズの絶対的な抑え投手として活躍した岩瀬仁紀さんの、野球殿堂入りが決まった。当然と言えば当然、現役時代の活躍、そして積み重ねた試合数とセーブ数は、前人未踏のとてつもない実績である。心からお祝いの言葉を届けたい。

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誰も追いつけない記録たち

その活躍を今さらながらふり返る。星野仙一監督時代の、1998年(平成10年)秋のドラフトでドラゴンズに入団、ルーキーイヤーは、主に中継ぎとして、いきなりシーズン全試合の半数近い65試合に登板して、リーグ優勝に貢献した。2018年(平成30年)に現役を引退するまでに、その左腕が作った記録は数知れずある。最優秀救援投手のタイトルの他、通算1002試合の登板と407セーブは、今も誰も近づくことさえできないプロ野球記録である。

散々なデビューからの一歩

今や伝説ともなったプロ初登板は、開幕戦だった。1999年(平成11年)4月2日のナゴヤドーム(現バンテリンドーム)での広島東洋カープ戦。1点リードの6回に登板した岩瀬投手は同点打を浴びた後、さらに連打で逆転されて、ワンアウトも取ることができずにマウンドを降りた。この試合はドラゴンズが再逆転して勝利し、実はそこから開幕11連勝という快挙が始まるのだが、その華奢な体つきのルーキー投手を目の当たりにして、ファンの間でも「大丈夫か?」との不安が広がった。

しかし、同じ3連戦の中ですぐに登板の機会が与えられると、今度は見事な好投を見せる。「若い選手には失敗してもチャンスを与える」という、いかにも星野監督らしい采配だったが、岩瀬投手の第一歩は、挫折からの逆襲で始まった。

落合監督との出会い

転機は6年目の2004年(平成16年)に訪れた。このシーズンから指揮を取った落合博満監督によって、試合を締めくくるクローザーに指名される。実は岩瀬投手は、先発への転向を希望していたそうだ。しかし、この年も60試合に登板して、22セーブを挙げた。「シーズン50試合以上登板」は当たり前になっていた。チームは落合新監督1年目にしてリーグ優勝を果たした。

以来、落合政権の8年間は、リーグ優勝4回、日本一1回、Bクラスは1度もなしという“黄金期”を築くのだが、岩瀬投手なしに、その歴史は語れない。岩瀬投手は5度の最優秀救援投手を手にしているが、その4度までが落合監督下の8年間に達成された。岩瀬投手に勝ち試合を任せた落合監督も慧眼だが、それに応えた岩瀬投手は見事である。

スタンドで観た400セーブ

登板した1002試合、ファンとしてスタンドから幾度もその姿に声援を送った。岩瀬投手は、表面上は実に“淡々と”その役目を全うした。投手人生の後半になって、打たれることも出てきたが、それでも同点まで。逆転されたという記憶はあまりない。通算400セーブ目は、2014年(平成26年)7月26日、讀賣ジャイアンツとの対戦だった。本拠地ドームの外野スタンドで見守っていた。1点を取られながらも、最後の打者となった阿部慎之助選手(現ジャイアンツ監督)を三振に打ち取ったが、投球後にバランスを崩して前のめりになる、何とも珍しい新記録の達成シーンだった。「400セーブ」という大記録の目撃者となって、とにかく嬉しかった。当日の入場チケットは額に入れて、大切に保管している。

ファン感涙の引退試合

岩瀬仁紀投手(C)CBCテレビ

引退試合にもスタンドに駆けつけた。2018年(平成30年)10月13日ナゴヤドームでの阪神タイガース戦。ゲームは接戦となっていて、いつ岩瀬投手の出番が来るのか、セーブはつくシチュエーションなのか、ひょっとしたら登板機会がなくなるのではないか、ハラハラしながら見守っていた。

2対2の同点で迎えた9回表、「ピッチャー岩瀬」の名前がコールされると球場は歓声の渦に包まれた。打席には、阪神球団の粋な計らいもあってか、同期でドラゴンズに入団した福留孝介選手。得意のスライダーで三振に取って、20年間のマウンド生活を締めくくった。その後、同じクローザーである藤川球児投手(現タイガース監督)が花束を手にマウンドへ。岩瀬投手と共に、スタンドの我々ファンも涙した。感動的な最後のマウンドだった。

“普通”であることの強さ

引退セレモニーでの挨拶で、岩瀬投手は、自分を起用してくれた歴代監督の名を挙げて感謝を述べた後に、こう語った。

「精神的に強くないけれど、9回という場で必死に守ってきました」

この言葉が胸に刺さった。今回の野球殿堂入りでも、岩瀬さんは「自分なんかでいいのか」と挨拶での最初の言葉から語っていた。殿堂入り発表の翌日の中日スポーツ紙に、手記が掲載されたが、その締めくくりの文章を読んであらためて感慨深かった。

「語るような夢はない。普通の生活を楽しみたい。これがささやかな願いです」

岩瀬仁紀氏野球殿堂入り会見

現役のクローザーで、岩瀬さんの記録を抜く投手、またはそれに迫る投手、現在はどちらもいない。そんな“鉄腕”の素顔は普通の人なのである。だからこそ、我々ファンは岩瀬仁紀を愛し続けるのだろう。普通の生活を希望している、かつての背番号「13」に対して申し訳ないが、いつか再びユニホームを着て、鋼鉄の腕とハートを合わせ持つ後輩投手を育ててほしい。岩瀬仁紀さん、野球殿堂入り、おめでとうございます!

【CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。CBCラジオ『ドラ魂キング』『#プラス!』出演中。

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