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ナゴヤ球場からドラゴンズが去る日~本拠地移転に思う感動の歴史と別れの哀愁

ナゴヤ球場からドラゴンズが去る日~本拠地移転に思う感動の歴史と別れの哀愁
ナゴヤ球場グラウンド(筆者撮影・2019年3月)(C)CBCテレビ

未来に向かう嬉しさと同時に、何とも言えない淋しさもある。中日ドラゴンズが、名古屋市中川区にあるナゴヤ球場から別の場所へ、2軍の拠点を移す検討に入ったことを明らかにした。竜の歴史を刻んできた球場も老朽化によって、時代の節目を迎えることになる。(敬称略)

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懐かしの「中日スタヂアム」

ナゴヤ球場は、名古屋駅からJRや名鉄の線路に沿って南へ向かった場所にある。周辺は昔からの名古屋の下町である。中日スタヂアム(俗称:中日球場)の時代、終戦直後の1948年(昭和23年)に開場し、翌年から、ドラゴンズの公式戦で使われてきた。

1997年(平成9年)にバンテリンドーム(当時はナゴヤドーム)ができるまでは、昼間は2軍のウエスタン・リーグの試合、夜は1軍のペナントレース公式戦という“ダブルヘッダー”使用も珍しくなかった。しかし、長い歳月で老朽化が目立ち、こうした本拠地の移転を進める他球団も多い中、ドラゴンズも今回の移転検討になった。

魅力あふれた屋外球場

ナゴヤ球場スコアボード(筆者撮影・2019年3月)(C)CBCテレビ

ドラゴンズファンには、屋外であるナゴヤ球場、特にナイターのゲームを懐かしむ人が多い。球場近くで生まれ育った筆者もそのひとりである。ナイターの開催日は、夜空一帯に球場のカクテル光線が映えた。それに照らされたグラウンドの芝生の緑色は、本当の美しかった。

試合の勝ち負けにかかわらず、7回に入ると、外野席が無料で開放された。それに向けて、自転車で駆けつけて応援した少年ファンは多かった。センターバックスクリーン裏にあった店では、売れ残った焼きそばなどを子どもたちに振る舞った。外野フェンスも低く、スタンドとグラウンドとの距離も近かったため、ファンの声援もヤジも選手に直接届いた。“人肌の温かさにあふれた”球場だった。

20年ぶりのリーグ優勝

その球場で、数えきれないほど、ドラゴンズの熱闘とドラマを目の当たりにしてきた。1974年(昭和49年)、讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止して、20年ぶりのリーグ優勝を決めた試合の感動は鮮明である。最後の打者のライナーを三塁手の島谷金二がキャッチすると、マウンドのエース・星野仙一が帽子を脱ぎ捨てて仁王立ちした。そこにキャッチャーの木俣達彦が飛びつく。グラウンドにはスタンドからファンが続々と押し寄せて、与那嶺要監督の胴上げは、選手とファンが一体となって行った。それが中日球場時代の思い出のひとつ。

近藤のノーヒットノーラン

ナゴヤ球場に改名してからもドラマは生まれた。1987年(昭和62年)8月9日、高卒ルーキーの左腕・近藤真一(現・真市)が、プロ入り初登板を初先発で飾った。その相手は讀賣ジャイアンツ。この抜擢は星野仙一監督の英断だった。近藤は、ストレートに得意のカーブをおり交ぜて、巨人打線を抑え込んでいく。そして、ノーヒットノーランの達成。球団史に大きな1ページを刻んだ。それもナゴヤ球場の思い出のひとつ。

星野監督の感動スピーチ

1軍の本拠地がナゴヤドーム(当時)に移る前の最後の公式戦も、相手はジャイアンツだった。伝説の「10・8決戦」から2年後の1996年(平成8年)10月6日、ドラゴンズは試合に負けて、ドラゴンズファンも“ナゴヤ球場お別れ試合”で長嶋茂雄監督の胴上げを見ることになった。試合後のセレモニーで、星野仙一監督が見事なスピーチをナゴヤ球場に送った。

「さようならナゴヤ球場。最高の球場だと思っております」。
スタンドで見守りながら、感無量だった。これもまた、ナゴヤ球場の思い出のひとつ。

巨大電球は何を語る?

ナゴヤ球場照明塔の巨大電球(筆者所有)(C)CBCテレビ

数年前に本拠地ドームで開催された「懐かしのドラゴンズグッズ展」にも出品したが、筆者の手元には、ナゴヤ球場照明塔の巨大電球がある。8基あった照明塔に取り付けられていた直径1メートルほどの電球。照明塔が撤去される際に「廃棄するならひとつ下さい」と許可をもらってもらい受け、大切に保管してきた。

晴れた日だけではなく、雨の日も風の日も、ドラゴンズの歴史を見守ってきたであろう“巨大な目玉”。そんな逸品も、今回の本拠地移転に感無量の思いであろうか。巨大電球も淋しさを越えて、新時代へエールを送ることだろう。

2026年に球団創設90年を迎えるドラゴンズ球団にとっても、ずっと応援を続けるファンにとっても、ナゴヤ球場の思い出は“語り尽くせない”数の多さである。それが歴史と伝統。球団は、現在の選手寮や屋内練習場も球場と一体として移転させる構想という。ナゴヤ球場が“竜のレガシー(遺産)”として何らかの姿で残ってほしい思いと共に、誕生する新しい“ドラゴンズタウン”が、新たな感動を積み重ねながら、球団史のページを増やしていくことを夢見る新春である。
                         
                     【CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。CBCラジオ『ドラ魂キング』『#プラス!』出演中。

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