「六甲おろし」の作曲家はドラゴンズにも応援歌を書いていた!野球殿堂入りの“栄冠”輝く
2023年の野球殿堂入りが発表された。阪神タイガースで2年連続三冠王を取ったランディ・バースさん、「ラミちゃん」の愛称で親しまれ外国人選手として初の2000安打を達成したアレックス・ラミレスさん、この2人に加えて、特別表彰として作曲家の古関裕而(こせき・ゆうじ)さんが選ばれた。古関さん、実は中日ドラゴンズにも縁(ゆかり)がある。
古関さんと野球のつながり
古関さんは、1909年(明治42年)福島県生まれ。若き頃から音楽の才能を発揮して、生涯5000もの曲を作ったと言われる。1989年(平成元年)に80歳で亡くなった。その音楽人生は、朝の連続ドラマでも、人気俳優・窪田正孝さんが演じて描かれたので、同時代を過ごしていない世代の人たちにも知られていることだろう。
古関さんと野球のつながり、夏の甲子園、全国高校野球の大会歌『栄冠は君に輝く』は特に有名だが、1931年(昭和6年)に早稲田大学の応援歌『紺碧の空』を作曲したことから始まった。5年後には『六甲おろし』として親しまれる『大阪(阪神)タイガースの歌』を作った。
『古関裕而-流行作曲家と激動の昭和』の著書でも知られる日本大学教授の刑部芳則さんによると、古関さんが作曲した野球に関する球団歌や応援歌は、およそ50曲にものぼるという。
ライバル球団の応援歌も!
古関さんのユニークなところは、早稲田大学そして阪神タイガース、それぞれの応援歌を作曲しながら、ライバルである慶応義塾大学と讀賣ジャイアンツの応援歌も、同じように引き受けて作曲していることだろう。スポーツが苦手で、特にご贔屓なチームもなかったためとも言われるが、今回の野球殿堂入りについて、刑部さんはこう評価する。
「これほど野球関連の歌を作っている作曲家は古関さんぐらい。明るく力強いメロディーは、選手はもちろん、応援する側にも力が湧いてくる。楽曲の魅力と、多くの作曲が評価されたのだろう」
ドラゴンズに応援歌も書いた
そんな古関さんの野球応援歌の中に、中日ドラゴンズのために作曲した歌がある。1950年(昭和25年)に発表された『ドラゴンズの歌(青雲たかく)』である。後になって作られた1975年(昭和50年)の応援歌『ガッツだ!!ドラゴンズ』と同じように、歌詞は一般公募で選ばれた。
サトウハチローさんが補作し、歌ったのは古関さんと同じ故郷の幼なじみである歌手・伊藤久男さん。明るい古関メロディーと伸びやかな伊藤さんの歌声が見事に溶け合っている。
「いざ行け われらのドラゴンズ」というサビの部分をご存知の方も多いかもしれない。1960年代までは、当時の本拠地の中日球場(現ナゴヤ球場)でも流れていた。古関さんはもう1曲、愛唱歌『私のドラゴンズ』も作曲し、この2曲をA面とB面にして日本コロンビアからレコード発売された。
竜の日本一を盛り上げた
ドラゴンズからの野球殿堂入りは、ここ5年間では、現在の監督である立浪和義さん(2019年)、そして50歳まで投げ続けプロ野球の最年長記録を持つ山本昌さん(2022年)と、元選手としての「競技者表彰」だった。
古関さんの『ドラゴンズの歌』発表の4年後、1954年(昭和29年)にドラゴンズは天知俊一監督の下で見事リーグ優勝、そして初の日本一に輝いた。古関さんの応援歌は、そんな球団史を後押しした。
期待!バンテリンドームでの披露
現在は、多くのファンに親しまれている『燃えよドラゴンズ!』がバンテリンドームの試合途中に流されるが、ゆかりのある古関さんの野球殿堂入りを讃える意味でも、2023年シーズンのどこかで、かつての応援歌『ドラゴンズの歌』を紹介する試合があってもいいのではないだろうか。
2年目の飛躍をめざす立浪ドラゴンズに「エール」を送る意味でも、また、それを聴きながらゲームにのぞむ竜戦士の中から、将来に殿堂入りする選手が登場することを期待する意味でも・・・。野球殿堂入りした古関さんも、きっと喜んでくれることだろう。
【追記】
弊社(中部日本放送・CBC)の社歌『東海の虹』も、実は古関裕而さんの作曲である。古関さんの活躍のフィールドは本当に広いと痛感する。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。