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竜のドラフト10年史(2)~“文武両道”福谷浩司の解析的投球術・2012年

竜のドラフト10年史(2)~“文武両道”福谷浩司の解析的投球術・2012年

ドラフト会議には夢とドラマがある。1965年(昭和40年)に始まったプロ野球のドラフト会議は、2021年に57回目を迎える。球団創設85周年を迎えた中日ドラゴンズにも、ドラフトによって数多くの選手たちが入団し球団史のページを飾ってきた。2011年1位指名は高橋周平、そして2020年1位指名は高橋宏斗、奇しくも「高橋から高橋へ」となったドラゴンズ最近10年間のドラフト史をシリーズで探訪する。(敬称略)

六大学の剛腕投手を単独指名

古くから「文武両道」という言葉があるが、2012年ドラフト会議での1位指名は、まさにその言葉がぴったりの投手だった。福谷浩司、愛知県知多市出身、地元の県立横須賀高校から慶応義塾大学の理工学部に進んだ。大学時代は1年の時から東京六大学野球で、先発と抑えの両方で活躍した。在学中には、理工学部の成績優秀者に贈られる「藤原賞」に加え、体育で活躍をした学生に贈られる「小泉賞」もダブルで受賞した。ドラゴンズが1位指名した時には、大学時代の球歴と共に、自らの投球フォームの解析をテーマに選んだという卒業論文も話題に。ファンの間では今でも「福谷教授」「ドクター福谷」と親しみをこめて呼ばれ、数多のプロ野球選手とはひと味違う愛着を持たれている。

福谷浩司の歩みと覚醒

ドラゴンズ入団後の歩みは、決して平たんなものではなかった。即戦力の期待が高かったルーキー年はけがによって、わずか9試合の登板だった。2年目の2014年は谷繁元信新監督の下で、セットアッパーから始まり、岩瀬仁紀の不調によってクローザーを任される。72試合に登板して11セーブ、32ホールドという成績によって、新たな守護神誕生かと思われた。リリーフとしての活躍は翌年からも続くが、やがて先発転向をめざした時に肩や腰を傷めて、その歩みはスローダウンした。2019年は登板わずか1試合、それでも福谷は力強く蘇る。2020年は8勝2敗で、先発ローテーションの柱のひとりになった。そこには福谷自らの見事な“修正能力”があったことは言うまでもない。己を知る人間は強い。

2012年ドラフト総括

注目は何といっても花巻東高校の“二刀流”大谷翔平だった。大谷が強くメジャーに挑戦する希望を強くアピールしていたため、ほとんどの球団は指名を回避。しかし、北海道日本ハムファイターズだけは果敢に1位指名した。栗山英樹監督が自ら交渉に出馬した上、球団あげて“二刀流”を支持し、将来のメジャー挑戦も全面的にバックアップすることを約束し、見事に入団が実現した。前年にそのファイターズに1位指名されながら入団を拒否した菅野智之は、希望通り、叔父である原辰徳が監督を務める讀賣ジャイアンツに入団した。1年前にその菅野を獲得できなかったものの、大谷を獲得したファイターズの心意気は見事と言うほかはない。

竜指名選手の現在地は?

「中日ドラゴンズ2012年ドラフト指名選手一覧表」(C)CBCテレビ

2012年ドラゴンズのドラフト指名は、高卒選手に輝きがあった。2位では地元・愛工大名電高校から浜田達郎を獲得した。大谷翔平、藤浪晋太郎と共に「高校ビッグ3」と呼ばれた。3年目の2014年は予告先発の川上憲伸が登板を回避し急きょプロ入り初先発。見事、完封でプロ初勝利を飾った。竜党は「初登板ノーヒットノーラン近藤真一の再来」と狂喜した。その後、けがに泣かされる日々が続いたがファンの思いは強く、エールも多い。5位の溝脇隼人は2021年シーズン、これまでで自己最高ともいえる活躍を続けている。7位の若松駿太は、入団3年目の2015年に10勝を挙げて、将来を期待されたが、残念ながらわずか6年でドラゴンズブルーのユニホームを脱いだ。
福谷は2021年シーズン、初の開幕投手に選ばれた。調子を落とすと、短い期間でフォームを変えて修正するなど、まさにドクターぶりを発揮、足指骨折で戦列を離れた9月まで見事に先発の座を守った。

【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。

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