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「本能寺の変」の前触れ?明智光秀が催した愛宕山の連歌会

「本能寺の変」の前触れ?明智光秀が催した愛宕山の連歌会

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。5月30日の放送では織田信長・前田慶次・陣笠隊の足軽・太助の3名が出演し、明智光秀が京の愛宕山で開催した連歌会について取り上げました。

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明智光秀が愛宕山で連歌会

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。いくつかある話題の中で取り上げたのは、1582年5月28日に明智光秀が愛宕山で連歌会を催した件について。

織田信長「連歌会とはそもそもなんじゃ?前田慶次よ」

前田慶次「連歌会はわかりやすく言うと遊戯。複数人集まって、短歌をつなげていくと言えばわかるかの?五七五を他の者が先に詠み、それに続いて七七を詠む。これを続けていくのが連歌会。武将や公家の教養として、非常に重要な役割を担っている会であったわけじゃ」

一見、武将にとってはよくある連歌会のように思えますが、この出来事が重視されるのはある理由からでした。

戦勝祈願じゃなかった?

この連歌会が行われたのは、京都の愛宕山頂にある愛宕神社。火除けや戦勝祈願・武運がご利益とされています。
そこで行われた際に詠まれた句が現代に伝わっています。

慶次「その時に光秀殿が最初に詠んだのが『時は今 あめが下知る 五月かな』。これは光秀殿が自分の家系を土岐氏の一族であると称しておった。ゆえにこの『時』というのは時間の『時』と自分の『土岐氏』を重ねたということ」

続く「あめが下知る」には「あめ=天(天下)」を掛けて、「今こそ土岐の流れをくむ自分が天下を治める時」という野心を示したものではないか、と解釈されるようになりました。

表向きには「ちょうど今は雨の降る五月だなあ」という意味ですが、もし前述のような意味であるとすれば、この数日後の6月2日に起こった本能寺の変との関連が疑われます。

本能寺の変の首謀者である明智光秀が、直前に連歌会で意味深な句を詠んでいた事実がこうした憶測を引き起こしているのです。

真相は闇の中

この慶次の説に対して、信長は事も無げに「後世の者たちが、本能寺の変とこの連歌会で詠まれた句を知ったからつなげておるだけじゃろ」と一蹴。連歌会は珍しいものではなく、行き詰まって「時は今 あめが下知る 五月かな」と詠んだだけと言います。

慶次「儂がこの連歌会に出席しておったなら、すぐさま信長様にこの内容を申し伝えて『光秀殿が裏切ろうとしておりますよ』と報告したであろう」

信長「お前が儂に『光秀が裏切ろうとしている』と伝えに来たとしてだな、儂の機嫌次第ではお前(慶次)が先に斬られておるぞ。うるせぇ!ってな(笑)」

本能寺の変が起こった理由以外にも、明智光秀の単独犯行ではなく背後に別の人物や勢力(黒幕)がいたとする説があります。
例えば、信長との対立があった徳川家康、天下統一を進めていた豊臣秀吉、朝廷などが挙げられてきました。

しかし、これらを裏付ける決定的な史料は見つかっておらず、多くの歴史研究者は光秀自身の政治的判断や不満が主な原因であったと考えています。現在も確証は得られていないからこそ、様々な小説やドラマの題材にもなっていると言えます。

どちらにせよ、信長自身にとってはあまり気分のいい話ではなかった様子。最後は「くそっ!」と一言呟いてこのコーナーが締めくくられました。
(葉月智世)
 

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