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声をかけられるのを待ちたくなるほどリアル。東大寺の重源上人坐像

声をかけられるのを待ちたくなるほどリアル。東大寺の重源上人坐像

毎週木曜日の『ドラ魂キング』では、CBCの佐藤楠大アナウンサーが仏像に関するトピックを紹介します。8月7日の放送で紹介したのは、奈良市の東大寺にある国宝・重源上人坐像です。実在した人物の像ですが、どんな魅力を持つのでしょうか?

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なかなか見られない?

佐藤「仏像とはちょっと違います。実在する人物を彫刻で作成した肖像彫刻と呼ばれるものです。肖像画の彫刻バージョンです」

東大寺の俊乗堂に安置されている重源上人坐像。俊乗堂は大仏殿から少し東に離れた場所にあります。
この像を見ることができるのは年2回だけ。7月5日と12月16日の俊乗忌と呼ばれる御開帳の時です。

佐藤「でも、よく出張しているので、いろんな展示会で見ることができる。出張しがちな重源さんです(笑)」

俊乗房重源上人とは

佐藤「仏像界に非常に大きな功績を残した方で、重源さんがいなきゃこのコーナーもないです」

1180年、平清盛が東大寺をはじめとする仏教勢力排斥のために、大和地方一帯を焼いてしまったのが南都焼き討ち。
その状態から東大寺の復興に務め、奈良の寺院の歴史を今の時代に引き継いだ重要人物が重源です。

佐藤「この人が現場に出て復興を担ったんです。我々がいま奈良の大仏を見られるのも、重源さんがいるからです」

プロジェクトのプロデューサー

1121年に武士の家に生まれた重源は13歳で出家。南宋(現在の中国)に3回渡り、最新の仏教文化と建築技術を日本にもたらした人物。

奈良の東大寺再興は、重源が61歳の時に始動。現代風に言えば、東大寺再興プロジェクトのプロデューサーとして尽力したのですた。

東大寺は、聖武天皇が奈良時代に建て、社会の混乱と疫病を抑える平和の象徴でした。
実際建ってから安定した時代が続きました。
そんな平和の象徴が、焼き討ちに遭ったのです。

佐藤「当時の人たちは『これから国が乱れるに違いない』と不安に駆られた中で、これを建て直すのはかなりのプレッシャーだったはず。それを重源さんはやり遂げました」

重源は修繕に必要な木材や資金を調達するため、山口県まで行ったとのこと。

佐藤「86歳で生涯を終えるまで、この事業に取り組んでるんです。61から86、四半世紀、命を懸けて今の東大寺の姿を守り抜いてくれたのが重源さんなんです」

リアリティの追及

話題は東大寺の重源上人坐像に。

佐藤「この作品はズバリ一言で、激動の重源の生涯を感じさせるリアリティです」

この作品は、今から800年以上前の1200年代初頭に制作され、晩年の姿を正確に写し取ったと言われているそうです。

鎌倉時代の仏像は、仏師・運慶が作った東大寺の金剛力士像に代表される、リアルの追及がトレンド。

佐藤「重源上人坐像は人間そのものです。今にも動き出しそうな表情、佇まいをしているんです」

特に顔に注目すると、目元、目の下のクマ。皮膚が若干垂れ下がっている様子や目尻の皺、眉尻が落ち具合、頬の肉が垂れ下がる感じ、その皺、全てがリアル。

佐藤「言葉は難しいんですけど肌の水分量がない感じとか、皺っとした感じとか。彫刻で彫って表現してるんですよ」

声を待つ

佐藤「特に私が見た時に心を掴まれたのが目元なんですけど、左右の目がアンバランスなんですよ」

病気と言われている左目は瞼が重く、ほとんど光が入っていない状態を表現。
逆に右目は80以上の年齢ながらも、はっきりとした瞳で力強く前を見つめているそうです。

様々な仏像を見てきた佐藤も、重源上人坐像には一目置いているとか。

佐藤「座ってる重源さんと対面した時に、800年近く生きてきた老人から何か一言声をかけられるんじゃないか、それをじっと待ちたくなるぐらいのリアルさと表情なんですよ。

対峙して、あんなに身体が動かなくなることあるんだ。恐れもあり敬いもあるという気持ち。これが畏敬の念なんだと感じさせてくれる重源上人坐像でございます」

重源上人坐像を見に行くと、あなたに何かを語りかけてくるかもしれません。 
(尾関)
 

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