「関東」と「関西」の境界線はどこ?  境界線を主張する2つの街の主張とは

「関東」と「関西」の境界線はどこ?  境界線を主張する2つの街の主張とは

日本を大きく分ける「関東」と「関西」、その境界線が一体どこにあるのかご存じでしょうか。岐阜県で、「我こそが関東と関西の境界線だ」と主張する2つの街があります。まさに“天下分け目の戦い”とも言える境界線論争の行方について双方調査をしました。

関東と関西の境目を主張する岐阜県関市

CBCテレビ:画像 『チャント!』

うどんのつゆは、関東では濃口の“かつおだし”で、関西ではあっさりした“昆布だし”。お餅は、関東は角餅、関西は丸餅。さらに、“マクドナルド”の呼び方は、関東は「マック」、関西は「マクド」…違いを挙げるとキリがありません。では、「関東」と「関西」の境界線は日本のどこなのでしょうか。

「わが町が境界線」だと主張する1つ目の街は、刃物の街として知られる岐阜県関市。去年春には、地元の特産品などを販売する複合観光施設もオープンしました。包丁やナイフがズラリと並びます。

近くにある刃物の資料館を訪れると、衝撃の宣言プレートがありました。
「宣言 関より東を『関東』、関より西を『関西』という。ここに、関市が関東・関西の分岐点であることを宣言する」

関市が関東と関西の境界線であるとはっきり宣言しているのです。プレートをよく見ると、この宣言がされたのは、平成4年。今から30年も前から境界線である”と主張していたのです。

人口重心地、日本国民の全体重をバランスとる中心地であると主張

CBCテレビ:画像 『チャント!』

関市の担当者に、主張の根拠について聞きました

担当者「人口重心地がありますので、日本列島の関市は真ん中ということで。関東と関西を分ける真ん中の市ですよ、ということで」

もし日本列島が一枚の板で、日本国民が全員同じ体重だと仮定した場合、重さのバランスがうまく取れる地点を「人口重心地」と言います。国勢調査の結果、この人口重心地が関市と判明しました。つまり関市は日本の真ん中、関東と関西の境界線だと主張しているのです。

さらに、宣言プレートの後ろには同時期に建てられたセンターポールがあり、関東と関西を分ける分岐点としてはっきりと明示しています。

ポールの片側にいるときは関東、反対側にいれば関西にいることになるというのが関市の見解です。この関市の主張に「待った!」をかける街がありました。

待った!をかけた、食文化や古来の関所から主張する関ケ原町

CBCテレビ:画像 『チャント!』

関市から西におよそ50km、岐阜県の県境に位置する関ケ原町。天下分け目の“関ケ原の戦い”でも知られていますが、関ケ原町も関東と関西の境界線は「わが町」だと主張しています。

町内のうどん店では、関東風のカツオだしと、関西風の昆布だし2種類のうどんを提供。さらに、老舗和菓子店では関東風の角餅と関西風の丸餅の両方を販売していました。 食文化でいえば、関東と関西の中間地点ともいえそうな関ケ原町。“ここが境界線だ”といえる理由を町の担当者に聞きました。

関ケ原町担当者「歴史的な背景があります。古来に“不破関(ふわのせき)”という施設が造られているということも大きな理由」

現在の関ケ原町にある不破関は、天武天皇が7世紀後半に設置した3つの関所のうちの一つ。この頃から三重県の鈴鹿関(すずかのせき)・滋賀県の愛発関(あらちのせき)・不破関の関所より東側にある地域という意味で“関東”という言葉が使われるようになったとも言われています。広辞苑にも“不破関より東が関東”と書いてありました。

関ケ原町の「東西文化」調査ではカレーの肉に差が

CBCテレビ:画像 『チャント!』

ところで、関ケ原町は同じように「関東と関西の境界線」を主張する関市についてどう思っているのでしょうか。
関ケ原町担当者「個人的には“東西の分かれ目”と言われると、関ケ原も食文化の分かれ目でもあるし、ジェラシーというかライバル心みたいなのがある」

関ケ原町は2016年、“「東西文化」の調査報告書”を作成。“関東と関西の境界線”であることを裏付けるために、関ケ原町と西隣の滋賀県米原市などそれぞれの住民からアンケートを取り、食文化や言葉などの違いを徹底的に調査しました。

例えば、カレーに入れるお肉は関ケ原町側では半数以上が関東で一般的な“豚肉”だったのに対し、米原市側では半数以上が、関西で一般的な“牛肉”という結果に。「マクドナルド」の呼び方は関ケ原町側ではおよそ8割が「マック」、米原市側では半数以上が「マクド」という結果になりました。関ケ原町の調査報告書に対して、関市担当者はあくまでも人口中心地があるウチが境界線だと一歩も譲りません。

事例によって移動する境界線

CBCテレビ:画像 『チャント!』

このままでは決着がつきそうにないため、日本の歴史や民俗学などを研究する中京大学の小早川道子准教授に聞きました。

小早川さん「江戸時代に箱根の関所が重要になってからは、箱根より東を関東と読んだりしていました。餅に関しても関西が丸い餅だと言っても、高知県辺りは四角い餅だったり。事例によって(境界線は)移動すると思ってもらった方がいい」

この辺りに境界線が引けるものが多いという点では、両者とも境界線の範囲の中にあるという見解でした。
関市と関ケ原町、どちらが関東と関西の境界線なのかという「天下分け目の戦い」の決着は簡単にはつかないようです。
CBCテレビ「チャント!」5月3日の放送より。

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