メートルの概念はなぜ生まれた?人体基準から地球基準への意識革命

4月11日はメートル法交付記念日。1921年(大正10年)の「改正度量衡法」の交付によってメートル法の使用が決定されたことを記念する日です。これにちなみ10日放送の『CBCラジオ #プラス!』では、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が、「長さの単位」にまつわる歴史や文化について解説します。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く人類独自の「測る」能力
「長さを測る」という行為は、生き物の中で人間だけが持つ能力です。この能力が人類の進歩につながってきました。
考古学的な話では、約3万年前の土の中から「刻み目をつけた動物の骨」が見つかっており、これが初期の「物差し」として使われていたのではないかと考えられています。
世界各地の古来の測定方法で最も多かったのは、人間の体を基準にしたものでした。現在も使われるヤード・ポンド法の「フィート」は足を意味し、実際に足の長さを基準にしています。
興味深い古代の単位
古代ギリシャやエジプト、ローマでは「キュビット」という単位が使われていました。これはラテン語の「肘」から来た言葉で、肘から中指の先までの長さを「1キュビット」としていました。およそ30センチほどの長さです。
また「ファゾム」という単位は、両手を左右に広げた時の右手の指先から左手の指先までの距離を表します。ただしこうした単位は「人によって長さが違う」という問題がありました。
古代には他にも興味深い単位がありました。
例えば「スタディオン」という単位は、太陽が地平線に顔を見せてから完全に昇りきるまでの時間に人間が歩く距離(約180メートル)を指しました。これが競争の基準になり、「スタジアム(競技場)」の語源にもなっています。
日本や中国では、手を広げた時の長さを「ヒロ」と呼び、特に水深を測る際に使われてきました。
また「尺」は、手を広げた時の親指から中指までの長さを表し、「尺取虫(しゃくとりむし)」の名前の由来ともなっています。
基準の多様性と統一への道
歴史的には様々な基準が長さの単位として用いられてきました。
14世紀のイギリスでは、王様が「大粒の麦3つ分を1インチとする」と定めたという記録があります。また古代インドでは「クローシャ」という単位があり、これは牛の鳴き声が聞こえる距離を意味していました。
しかし、地域ごとに基準がバラバラでは公平性に欠けるため、統一しようという動きが起こります。
特に18世紀のフランス革命時には、当時のフランスに800種類ほどあった長さの単位の統一が大きな目的のひとつでした。
メートル法の誕生
革命期の市民が望んだのは「自由」だけではなく、度量衡の統一でもありました。地域ごとに単位が異なると、税の計算が不明瞭になり、不公平が生じることがあったのです。
フランス革命時代の学者たち(サヴァン)は、人間の身体のような変動する基準ではなく、変わらない基準として「地球」を選びました。北極から赤道までの距離の1,000万分の1を「1メートル」と定義したのです。
「メートル」という言葉はギリシャ語の「メトロン(測る、計測する)」に由来します。
当時は人工衛星もなく、専門家が測量機器を持って実際にフランスのダンケルクからスペインのバルセロナまでを歩いて測り、それを基に1メートルの長さを決定しました。この作業は7年もの歳月を要しました。
メートル法の進化と影響
当時の測定技術で定めた1メートルは、現在の厳密な計測と比較すると若干の誤差があります。地球の測り方にわずかな違いがあったためです。現在の定義では、光が1秒間に移動する距離を基準に1メートルが決められています。
それでも、歴史家のエリック・ホブズボームは「フランス革命がもたらした成果の中で、最も長続きして広く普及しているのは実はメートル法である」と評しています。
メートル法が広まった後も、従来の計測法を支持する人々との対立が続きました。
例えば、アメリカでは今もヤード・ポンド法が特にスポーツや日常生活の分野で一般的に使われています。
こうした単位の不統一は時に重大な問題を引き起こします。1998年にNASAが打ち上げた火星探査機が事故を起こしましたが、これはメートル法で計算していた部門とヤード・ポンド法で計算していた部門の間で生じた単純なソフトウェアの問題が原因でした。
日本における尺貫法とメートル法
日本では長らく尺貫法が使われてきましたが、メートル法への一本化が進められる中で、尺貫法の使用が法律で禁止された時期もありました。しかし、建築業界や着物製作など、尺貫法が不可欠な分野では不便が生じました。
永六輔さんなどが中心となって運動を展開し、現在では特例として尺貫法の使用が認められています。統一による利便性と文化としての価値のバランスが重要視されているのです。
現代では「一寸の虫にも五分の魂」「舌先三寸」など、言葉として尺貫法が残っており、その感覚は日本人の文化として今も生きています。
(minto)
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