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中日・岩嵜翔投手、涙のヒーローインタビューを振り返る。娘との約束とは

中日・岩嵜翔投手、涙のヒーローインタビューを振り返る。娘との約束とは

月曜日の『CBCラジオ #プラス!』では、野球実況を担当している光山雄一朗アナウンサーが独自の取材を基に中日ドラゴンズ情報を紹介しています。4月7日の放送で取り上げたのは「涙のヒーローインタビュー」です。右肘の故障に苦しみましたが、同月1日に4年ぶりの白星をあげた岩嵜翔投手。試合後にヒーローインタビューを受けた岩嵜投手の涙に込められた思いを光山が取材しました。そこには娘との約束もあったようです。

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日本一からの怪我と手術

高校を卒業し2008年に福岡ソフトバンクホークスに入団した岩嵜投手。
2017年にタイトルを獲得し、中継ぎピッチャーとして最優秀の賞も獲り、勝ちパターンの一角を任されていました。

ソフトバンクのリーグ優勝、日本一に貢献したものの、翌年に右肘の手術を2度行ないます。
それを経て完全復帰をする2021年のオフに中日ドラゴンズに移籍しました。

移籍後、開口一番「勝ちパターンとしてドラゴンズに貢献したいんだ」と語った岩嵜投手。
しかしドラゴンズとして初めてのマウンド。
そこで打者ひとりを抑えたところで右肘の違和感を覚え、そこから投げることができなくなりました。
半年間のリハビリ期間を経るも手術が必要と判断し、トミー・ジョン手術を受けることを決意。

光山「時間は本当にね、かかります。復帰するまで1年、それ以上かかるとも言われています」

術後のリハビリは日常生活に支障が出ないか右肘の小さな動きから確認するため、ボールを投げることなど遠い先のことです。

光山「想像を絶する大変さ、苦労、これ1年続くわけですからね」

モチベーションは娘の存在

ドラゴンズに来て1年目は怪我と手術、2年目はリハビリに費やした岩嵜投手。
大変な中で岩嵜投手を支えているものをリハビリ当時に光山が聞いたところ、そこには家族の存在がありました。

当時はまだ娘は岩嵜投手が野球選手とはわからない年齢だったため「娘が大きくなって自分の野球をしている姿を見せるまで頑張りたい」という思いがモチベーションになっていたそうです。
そんな思いもあり、リハビリも乗り越えられたと岩嵜投手は語ったとか。

そして移籍して3年目となった昨年6月、ようやく一軍の舞台に戻ることができ、21試合を登板。
今シーズンを迎える前に、光山は岩嵜投手に肘の状態を聞きました。
昨年は投げた次の日は張りなどが出てきていましたが、今年は違和感は全くなく、状態良く今シーズンを迎えられているようです。

「肘と向き合っていた去年までと違い、今年は野球に向き合えているんだ」と生き生きと話していたことが光山は印象的だったと語ります。

ヒーローインタビューで娘との約束を果たす

そんな中で今シーズンがスタートし、1イニングを投げ無失点。見事勝ち投手となりました。

これが実に4年ぶりの白星。
ヒーローインタビューのお立ち台に上がり、初勝利の思いを聞かれた岩嵜投手は、言葉を詰まらせ涙を流しました。

後日、光山はこの涙に関して聞いていると「言葉が詰まった時にバンテリンのドラゴンズファンが次々と温かい拍手をくれたことでよりくるものがありました」と振り返ったそうです。

さらに岩嵜投手はヒーローインタビューを受けたことで、娘との約束を果たすことができました。
というのも娘から「ヒーローインタビューの時に贈られるドアラのぬいぐるみが欲しい」とお願いされていたようです。

長い手術とリハビリでその機会が掴めなかったため、途中から自腹で買おうかと思っていたそうですが、「ついに約束を果たせた」と笑顔で語りました。

また、娘から「パパひとつ勝てたんだね」と言われたとか。
リハビリ期間に語ったモチベーション「娘に野球選手としてのパパを見せたい」 。
つらいリハビリ期間を経て、ついに結実した瞬間です。
(ランチョンマット先輩)
 

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