日本で生まれた「ビーチサンダル」~ハワイで爆発的人気を得たゴム草履の秘話
夏の海に欠かせないアイテムにビーチサンダルがある。このビーチサンダルは戦後まもない頃に日本で誕生し、観光地ハワイなどで大人気となった。まさに“メイドインジャパン”の優れものである。
第二次大戦が終わって、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の復興事業のために来日したアメリカ人のひとりにレイ・パスティンさんがいた。デザイナーだったパスティンさんは、日本伝統の下駄や草履に注目した。鼻緒が付いた履物は、母国アメリカにはなかったからだ。「これは簡単に履けるし、足指を鼻緒に通すため脱げにくい」。日本で出会った“ひも付き履物”は、日本を離れて帰国した後もパスティンさんの心に残った。
3年後の1951年(昭和26年)、パスティンさんは再び日本の地を踏んだ。今度はある目的を持って。それは、かつて日本で出会った“ひも付き履物”を、海外に向けて商品化したいという夢だった。いくつかのメーカーに話を持ちかけたが、少し前まで戦争の敵国だった相手からの話に耳を貸すところはなかなか見つからない。そんな中、兵庫県神戸市にあったゴム製造会社「内外ゴム」で、技師長だった生田庄太郎さんと出会った。内外ゴムは、防水性に優れた「独立気泡スポンジゴム」を開発したところで、パスティンさんと生田さんは新たなゴム草履の製作に乗り出した。
試作品第1号が完成した。しかし、パスティンさんが履いてみると、うまく履くことができない。モデルとした日本伝統の下駄や草履は、実は左右の形がまったく同じだった。
それは日本人の足に合っても、甲の高さ、幅の広さ、そして指の長さが違う外国人の足には合わなかったのだ。パスティンさんは木製の足型を作って、生田さんと共にそれに合わせて鼻緒の位置を調整するなど改良を進める。その結果、左右を足の輪郭に合わせてそれぞれ異なった形にすることを思いついたのだった。こうして、1952年(昭和27年)世界で最初の「ビーチサンダル」が誕生した。かかとの部分を2ミリだけ底上げするなど「履き心地」を追求する工夫も加えられた。このビーチサンダルは「ビーチウオーク」と名づけられた。文字通り“海岸を歩く”サンダルの登場だった。
日本で生まれた「ビーチサンダル」は早速、海外へ進出。世界でも有数のリゾート地であるハワイでは、1か月に10万足も売れた。日本からハワイへ旅行した人たちの中には、異国の地で初めてビーチサンダルに出会った人たちもいたに違いない。その後、日本人向けのビーチサンダル「ブルーダイヤ」もお目見えした。現在では海外向けだった「ビーチウォーク」が国内でも主力商品となっていて、当時の製法やデザインを今も大切に踏襲している。かつて内外ゴムの本社があった神戸市長田区では、1995年の阪神・淡路大震災からストップしていたビーチサンダルの製造を再開しようと、“ビーチサンダル発祥の地”としての新たな歩みも始まっている。
かつては敵国同士として戦った日本とアメリカ、その2つの国のデザイナーと職人が共同作業で作り上げた「ビーチサンダル」、それはまさに日米両国の友情そして絆の証し(あかし)でもある。日本生まれ・・・「ビーチサンダルは文化である」。
【東西南北論説風(252) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿のコレ、日本生まれです」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして紹介します。