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社会人野球は、日本の産業史そのもの

社会人野球は、日本の産業史そのもの

10月14日放送のCBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』では、CBCの榊原悠介アナウンサーが出演し、「社会人野球の世界」をテーマに語りました。社会人野球のチームの変遷を辿っていくと日本の産業の歴史、産業構造が見えてくるという榊原アナに、つボイノリオと小高直子アナウンサーが尋ねます。

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戦前は鉄道が盛ん

野球チームを持つ産業についてレクチャーを始める榊原アナ。

榊原「戦前でいくと鉄道、製鉄があります」

戦前の鉄道は民営化前の国鉄(日本国有鉄道)。
現在のJRグループよりもう少し細かく各地方の鉄道管理局が管轄していました。

野球チームは名古屋をはじめ東京、仙台、盛岡、門司、鹿児島、米子、熊本など。国鉄というひとつの会社ではなく、その土地土地でチームができていたそうです。

つボイ「これはプロ野球でもそうですよ。昔、鉄道関係は多かったですもんね」

阪神鉄道の阪神軍、阪急鉄道の阪急軍、南海鉄道の南海軍などがありました。

つボイ「名鉄だって名前は出してませんでしたが、資本を出してた時代もありました」

戦後は映画

戦争を挟んで戦前、戦後には繊維産業のチームが登場します。
戦前から活動していた有名なチームが、大阪に本拠地があった全鐘紡。繊維と化粧品などを展開していたカネボウ株式会社(2008年に消滅)の硬式野球部です。

榊原「その時代で栄えた産業の会社ほどチームを作っている。例えば新聞、映画ですよね」

つボイ「映画はあった。東映フライヤーズとかね」

戦後プロ野球には新聞社、映画会社が進出。大映ユニオンズ、松竹ロビンスなど映画会社のチームは再編や合併が頻繁にありました。

つボイ「大映と毎日が一緒になって大毎オリオンズもありましたね」

自動車・通信・楽器

榊原「社会人野球は、その時代に栄えている会社がより顕著になっている。鉄道、繊維、九州の炭坑なんかが1960年ぐらいまで」

1960年代に入り、1970年代になってくると、今度は自動車産業と電信・通信の会社が盛んになってきたそうです。

NTTの前身の電電公社は、電電東海や電電北海道など各地にチームがあったとか。
ヤマハのような楽器会社からもチームが登場し、1960年代から1980年代に隆盛を誇っていたそうです。

バブル時代のチーム

榊原「1980年代から1990年代、バブルの頃ですと、ホテルやスーパーマーケットも社会人野球に進出していました。有名なのがプリンスホテル。1989年の大会で優勝しています」

80年代、プリンスホテルは毎年のように都市対抗野球大会に出場していました。
中日ドラゴンズで80年代に活躍したキャッチャー中尾孝義さんはプリンスホテル出身でした。

時代が平成になるとIT会社やゲーム会社の野球部が登場。東京のセガサミーはゲームの会社です。
最近では福祉関係の会社が都市対抗に出場してきているそうです。

消えたチーム

つボイ「増えて来るのは嬉しいけども、野球部が消えていくのはファンにとっては寂しいことですよね」

榊原「藤倉電線、いまフジクラっていう会社がありますが、戦後あたりは都市対抗で優勝したこともあました」

また、2002年から2005年まで、カラオケのシダックスで野村克也さんが監督をしていた時代もありました。

ちなみに戦前は、日本が統治していた中国、朝鮮半島、台湾のチームも毎年、都市対抗野球大会に出場していたとか。

つボイ「ましてや向こうは強かったんやね」

野球部がなくなると?

野球部が休部、廃部になると、それを機に現役を退く選手もいれば、別のチームに移籍する選手もいるそうです。

中日にいた山井大介投手は河合楽器の野球部が休部になったため、特例でドラフト対象になり、6位指名で中日へ入団しました。

つボイ「山井さんはいいピッチャーで、日本一の時の投球が忘れられませんよね」

山井さんと言えば思い出されるのが2007年の日本シリーズ第5戦。8回までノーヒットノーランを続け、1対0で迎えた9回表は守護神・岩瀬仁紀さんにバトンタッチしました。

名門復活

最近の話題だと、2009年に休部になった日産野球部が、2025年に活動再開することを発表しました。
日産野球部は都市対抗野球大会で2度の優勝を誇る名門。その復活は社会人野球ファンの中ではビッグニュースとなっています。

つボイ「休部はゴーンさんがアカン言ったんか?」

榊原「一度はアカンと言ったんですが、野球部の活躍と球場の一体感を見て、いったん廃部を取りやめた時期もありました。カルロス・ゴーンの心をも動かした社会人野球です」

つボイ「熱心な人が日参(日産)をして再開することになりました」

お後がよろしいようで。榊原悠介アナウンサーが語る社会人野球の世界でした。 
(尾関)
 

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