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埴輪とはまったく違う、意外と知らない土偶の世界

埴輪とはまったく違う、意外と知らない土偶の世界

10月14日放送『北野誠のズバリ』(CBCラジオ)では、「縄文時代と土偶にズバリ」という特集を組みました。ゲストに『土偶を読むー130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)の作者で、人類学者の竹倉史人さんが登場。『土偶を読む』は第43回サントリー学芸賞 社会・風俗部門を受賞した作品で、以前、番組でインタビューしましたが、わずか10分ほどしか時間がありませんでした。そこで、パーソナリティの北野誠の「もっと話を聞きたい」という希望により、今回、特集を組むことになりました。ここではあまり知られていない土偶について、竹倉さんが解説した部分を取り上げます。

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土偶のほうが時代が古い

土偶と埴輪は並べて語られることが多いですが、土偶の方が時代は古いもの。

埴輪は日本では3世紀以降ですが、土偶は一番古いもだとなんと1万年前。
最後の土偶といわれているものでも2000年ほど前とされています。

また、似ているようで見た目も用途も異なります。

古墳の周りに設置されていて、当時の死後観念は霊界や冥府に行くものとされていました。

竹倉さんのイメージでは、古墳が大きな宇宙船のようなもので、偉い人が宇宙船に乗って行き、遺体の周りには生前使用していた刀やアクセサリーが並べられています。

さらに古墳の地上部分の周りには、家や馬、兵士などをかたどった埴輪が置かれていて、一緒にあの世に行くお供であり、多くのものを並べることで自分の権力を見せびらかしていたという側面もあるようです。

土偶は何をかたどっている?

いわば人間のために作られたのが埴輪であって、土偶とは意味合いがまったく異なります。

埴輪は特権階級のための埋葬品であり、何をかたどっているのかがわかるぐらい、写実的に表されているものです。

一方で竹倉さんはフィールドワークで土偶を見つけるため、さまざまな貝塚に行っています。
当初、竹倉さんは土偶は食用植物をかたどっているという仮説を立てていたため、貝の土偶があるとは思っていませんでした。

後にハマグリにそっくりな土偶が出てきた時は栗などを連想していたのですが、アシスタントさんと貝塚を巡っている間に、大昔の貝を見たことで、植物だけではなく貝もかたどっているのではないかと思ったそうです。

日本で遺跡が見つかりにくい事情

貝殻は炭酸カルシウムで長年残り続けるものの、何千年も昔のものが出てくるのはすごいですが、逆に言えば、それまで人間の開発などで潰されずに残っているということ。
しかし竹倉さんによれば、それでも貝塚の跡は人知れず潰されているそうです。

竹倉さん「明治時代に発見されたものだったりすると、そのまま大事に残ってるような所もあったりするんですけど、大規模なのがあればアレなんです(発見されたら残す)けど、(見つかっても)みんな言わないんですよね。(宅地開発などの)工事が止まっちゃうんで。

しかも日本の文化財保護法だと、出てきたものは全部没収されるんですよ。
イギリスとかだとちゃんと買い取ってくれるんですけど、報告しても何もメリットがない。

そこで自分の畑から出てきたものをそのまま闇のマーケットに流して、土偶が結構流通してたりもするんですよ。博物館に並ばないやつが」

昔から結構、貝は貴重な物として交換材料に使われていたと想像され、それが土偶にも表されていたそうです。

貝と植物の共通点

竹倉さんは「土偶は植物をかたどったもの」という仮説を立てましたが、植物と貝は一見、まったく共通点がないように感じられます。
なぜこの2つが土偶に表されたのか、竹倉さんはさらなる仮説を立てました。

竹倉さん「たぶん当時の人たちは、貝と木の実って似たようなものとして捉えていたと思うんですよ。どっちも落ちているのを拾って、硬い殻をむいて中の身を食べると。おそらく海もちょっと潜ると、コンブとか海藻とかいっぱい生えてるじゃないですか。

当時は水中メガネがないのでハッキリ見えないわけですけど、水の中にも森があるという普通に考えたはずなんですよ。

そうすると貝はずっと貝ではなくて、木の実みたいにそのまま海の中で時間が経つと魚になったりコンブになったり、木の実と同じ卵みたいなものと考えてたんじゃないかなと。
となると、植物も貝もわれわれが現代の区別で言ってるだけで、彼らからすると恵みという意味ではぜんぜん同じものとして、貝の土偶も作ってたんだろうと」

土偶の見た目は広く知られていますが、まだまだ知らないことが多いようです。
(岡本)
 

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