「文通」の経験ありますか?SNSメールなき時代の“初恋”を彩った手紙への哀愁
手紙を書くことがめっきり少なくなったという人が多い。今や、メール、LINE、そしてチャットなど、誰かとのやりとりは瞬時、スマートフォンを手にして、あっという間にできる。そんな時代、「文通」という言葉も「記憶遺産」の仲間入りをしようとしている。
平安時代にもあった「文通」
「文通」・・・文字通り「文」を「通わす(かよわす)」。紙に文字を書いた手紙をやりとりする。日本での歴史をたどると、奈良時代から文のやりとりは始まったといわれ、平安時代になると、貴族や公家たちの間で、歌や詩などを送り合う“趣味”としての文通が盛んになったようだ。そして、そんな手紙という手法は、パソコンやスマホによるメールが登場するまでは、実は電話以外で、最も一般的なやりとりの方法だった。
学習雑誌の思い出
学習雑誌を覚えているだろうか?小学生になった時に、小学館の『小学1年生』を手にした。中学生になると、旺文社が『〇〇時代』、学習研究社(学研)が『〇〇コース』をそれぞれ発行していて、どちらを親に買ってもらうか、友だちの間でも意見が分かれた記憶がある。この学習雑誌のすごいところは、これが大学直前の高校3年生向けまで続いていたことである。双璧を成した2つの雑誌だが、旺文社だけは『高三時代』とせずに『蛍雪時代』だった。心に残っているタイトルである。
きっかけは「文通相手募集」欄
昭和の時代は、郵便システムも充実してきたため、手紙を取り交わす人が増えた。そんな中、学習雑誌には巻末あたりに「文通相手の募集欄」があった。さすがに小学校の低学年向けのものにはなかったが、『中一時代』『中一コース』あたりから登場したように思う。
手紙のやりとりをしたい相手を求めて、個人の「住所」「名前」「年齢」「趣味」などが載った。現在では珍しい、個人情報の積極的な開示である。相手が異性となった場合も多かった。そんな文通仲間のことを「ペンフレンド」と呼ぶようになっていった。思春期にさしかかり、男女それぞれ初恋を体験するお年頃でもあった。
手書きのドキドキ感
一生懸命に自分のことを“アピール”することから始まるため、最初に送る手紙は誰でも緊張するものだ。字が下手な友人は、鉛筆で下書きした上に清書したり、字がきれいな誰かに代筆を頼んだり、若いなりになかなかのドラマもあった。パソコンのワープロ機能もなかった時代のことである。顔も知らない相手との“文”のやりとり、そこにはミステリアスなドキドキ感もあった。現在でもSNS上で、未知の相手とどんどん知り合っていけるのだが、出会いツールが「文(ふみ)」というところが重要だった。郵便という制度以外に、こうしたやりとりの手段はなかった時代だった。
待つ時間の切なさ
手紙のやりとりには、いろいろな思いが交錯する。瞬時に届くメールやLINEと違って、手紙は届くまでに時間がかかる。こちらの手紙が届く、相手が読む、相手が返事を書いて送る、そして受け取る・・・少なくとも1週間では難しく、週をまたぐことも多かった。
それを待つ時間は長かったけれど、ある意味では、とても楽しみでもあった。日に何度も、自宅の郵便受けを見に行った人も多いのではないだろうか。こうした文通も結実するのだと知ったのは、「募集欄」に「おかげで交際が始まりました」とか「結婚しました」とか、そんな感謝の投稿も紹介されていたからだ。とても感動ものだった。
SNS時代になって
インターネットの普及によって、メールが圧倒的な連絡手段になった。仕事も、プライベートも、何か用件も、御礼も、すべてメールが主流になった。さらに、文字すらも使わずに「絵文字」でやり取りすることもある。実はそんなインターネットの世界にも「文通」相手を紹介するサイトがある。手紙のやりとりを手助けするのがインターネットというところに、“時代の不思議さ”も感じてしまう。
2024年(令和6年)中には、郵便葉書が63円から85円に、封書が84円から110円に、大きく料金が値上げされる見通しである。年賀状を出す人の数も年々減ってきているが、ますます「手紙」というものから遠ざかる人が増えそうだ。ただ、手紙を郵便ポストに投函してから返信を待つ時間、また、受け取った手紙を開封するまでの時間、そこに“人生の味わい”を感じる、そんなしみじみとした情感がとても懐かしい。
【東西南北論説風(475) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。
CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。